1日から開催されている芸術祭「あいちトリエンナーレ」で「「表現の不自由展・その後」コーナーに出展された平和の少女像が「検閲」にあって撤去されるかもしれない事態に陥っている。
表現の自由は、ヘイトや差別や殺戮者を賛美するようなものを除いて「何でもありだと」私は考えている。韓国の慰安婦を象徴する「平和の少女像」に、問題はないと思っている。日本軍が強制的に連行した韓国の従軍慰安婦や徴用工の存在も、私は認めている。
《8月1日に開幕した「あいちトリエンナーレ2019」。その出展作家である「表現の不自由展・その後」の展示作品のひとつ《平和の少女像》に対し、名古屋市長・河村たかしが展示の中止と撤去を要請した。これに対し、同芸術祭の芸術監督・津田大介は、行政の過剰な介入は「検閲」に当たると反論している。 》
監督が途中降板することもなく、芸術祭は無事出航できたと思った矢先にこの「検閲」で座礁しそうなのだ。たしかに津田が監督になったことで、今回のようなことが起きなくもないなとは思っていたが、まさに「いま風のつむじ風」のために迷走し始めた。
《津田氏によると、同芸術祭の事務局には抗議の電話やメールが殺到しており、なかにはテロ予告や脅迫ととれるようなものもあるという。》
今後の開催が危ぶまれるようなら、作品の展示について何らかの動きがあるかもしれないという状況のようだ。ツイッターでは「#あいちトリエンナーレを支持します」というハッシュタグが立ち、「検閲」に対する抗議の声が上がっている。
物騒な電話やメールの主体は歴史修正派なのか嫌韓派なのかよくわからないが、混乱を引き起こして芸術作品を引きずり降ろそうという作戦のようで、税金が入っている公的な芸術祭ならではのお祭り騒ぎである。
津田大介は事態収拾に頭を痛めていることだろうが、どういう事態になろうと、すべてを明るみに出すことが彼の使命だと思うしそれに応えられる人間だと思う。これをきっかけに、また慰安婦問題を考えることになれば、それはそれで意味のあることなんだし。