千年の折り イーユン・リー著 新潮社
このほど、「独りでいるより優しくて」を上梓した米国の中国系作家イーユン・リーのインタビュー記事が、7日の朝日新聞に掲載された。
8年前にわがブログで彼女の「千年の祈り」という短編小説集を紹介した。この本は絶対売りに出さないうちの1冊であります。(以下はその再掲+アレンジ)
「千年の祈り」の作者、イーユン・リーは、中国から24歳で渡米し、アイオワ大学大学院で免疫学を修めた。にもかかわらず、「私の天職はこっちだわ」と作家になった異色。
彼女は、母国語(中国語)ではない英語で短編小説を書き、「千年の祈り」で、第1回フランク・オコナー国際短篇賞を受賞。その他、数々の賞を受賞する。
「千年の祈り」は、10篇の短編が収められている。
登場するのは、中国で生活する中国人と、アメリカで暮らす中国人。作者は、その両方と接してきた。
この本のタイトルにもなっている短編「千年の祈り」は、中国のことわざ「修百世可同舟」からとっている。
《誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない。 (略)
たがいが会って話すには-長い年月の深い祈りが必ずあったんです。 (略)
どんな関係にも理由がある、それがことわざの意味です。夫と妻、親と子、友達、敵、道で出会う知らない人、どんな関係だってそうです。
愛する人と枕をともにするには、そうしたいと祈って三千年かかる。
父と娘なら、おそらく千年でしょう。人は偶然に父と娘になるんじゃない。
それはたしかなことです。》
アメリカに住む離婚した娘を元気付けようと、中国からやってきた父親は、娘とまったく反りが合わない。
上の《 》部分は、公園で毎日出会うイラン人の女性に、娘との関係を中国のことわざで説明しようとしている場面である。
娘はなぜ、私にあんな態度をとるのだろうかと、老いた父親は嘆き、口にする、その一方で、イランの女性と毎朝公園で出会うことに幸せを見いだしている。
アメリカの公園で、中国人男性が中国語で、イラン女性がイラン語で語り合い、関係を成立させている。この強引で奇妙な関係は、「数千年の祈り」の賜物なのだろうか。
「黄昏」「不滅」「市場の約束」に登場する親子にも、「何世紀にもわたる祈り」を感じざるを得ない秀作である。
10編の物語は、それぞれが短いが壮大である。人間の持つ精神の奥深さと、人と人との関係を雄弁に語りかけてくる。
「修百世可同舟」という中国のことわざが、通奏低音のごとくこの本の全編に流れ亘って、これら作品のいしずえとなる作家の精神を表している気がしてならない。
愛する人と枕をともにするのに三千年、父と娘が分かり合えるのに千年の歳月が必要と中国人は言う。それを信じて、祈るしかない。