遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

灰とダイヤモンド/アンジェイ・ワイダ

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脚本 アンジェイ・ワイダ、イェジ・アンジェイェフスキ
原作 イェジ・アンジェイェフスキ
公開 ポーランド 1958年10月3日  日本 1959年7月7日 上映時間 103分

ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」、はじめての鑑賞。原作は、イェジ・アンジェイェフスキで、彼はこの映画の脚本にも参加している。映画では、ロンドン亡命政府派の青年マチェクを中心に描いていて、原作の小説の主人公(党の指導者)からシフトしたようである。

若いころ、映画「1000日のアン」のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドと「ひまわり」のリュドミラ・サベーリエワの二人の女優の名前を覚えて口に出すのに苦労した。この「灰とダイアモンド」の主演のズビグニエフ・チブルスキーは、もう覚える気もないほどややこしい名前である。

ズビグニエフ・チブルスキーは、ポーランドのジェームス・ディーンと呼ばれていて、なるほどその面影は本作で随所に見られた。また、サングラスをかけた彼はウォーレン・ベイテイに似ていて、恋人との絡みでの悲しい瞳はアラン・ドロンのようにも見えた。未来を夢見る不安なまなざしの若者役に共通な雰囲気に包まれている。

映画は、チブルスキー演じる青年マチェク(反政府勢力のヒットマン)の24時間を描いている。本作の24時間は、人間の生涯に匹敵するほど濃密な内容で描かれていて、ドイツが降伏したばかりの第二次世界大戦終了時の、ポーランドが舞台である。ある町に暮らしている人たちと、訳あってその町に集まった人たちと、その町を出ていって未来に賭けようとする人たちが映画の中で交錯する。

ナチスに蹂躙され、いまスターリンに翻弄されようとしているポーランドのやるせない状況を、マチェクという若者に投影した手法は、きっと原作を超えて世界に受け入れられただろうと思われる。しかし、単なる抵抗や挫折を描いているだけではなく、本作に登場した多様な人たちを通して、普遍的な生身の人間たちをワイダは描きたかったのだろうと思う。その試みは成功していると思う。

主人公の男女が雨宿りに使った廃墟の教会。ふたりは、そこで見つけた碑文に刻まれたノルヴィトという詩人の詩を読む。美しい印象的なシーンだ。

松明のごとく、汝の身より火花の飛び散るとき
汝知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
持てるものは失われるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、ダイヤモンドのごとく深淵に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
星のごとく輝くダイヤモンドの残らんことを

まさしく、灰の中のダイヤモンドのように、存在感のある立派な映画である。
「君がダイヤモンドだ」。