遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

囲碁の力/石井妙子

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囲碁の力  石井 妙子  (洋泉社新書)

飽きっぽい私の目下のマイブームが囲碁井山裕太4冠がマイブームでもある。

テレビの囲碁対局番組を(録画することが多い)、それを環境音楽のようにテレビで流している。私は囲碁を打たないし、よく解らない。なので、邪魔にならない。

現在、伝統のビッグタイトル本因坊戦の真っ只中で、静岡、沖縄、北海道、長崎の各地で対局が行われ、来週は大阪の吹田での対局が予定されている。本因坊戦を見ていて、そういえばと、石井妙子を思い出した。

石井は、大宅賞の最終選考に残った「おそめ―伝説の銀座マダム」を書いた(楽しませてもらった)ノンフィクションライター。彼女が確か囲碁関係の本を書いていたはずだと探し求めて、本書「囲碁の力」をこのたび読了。2002年に刊行された新書であるが、いま読んでも時差を感じさせないすぐれもの。

囲碁の簡単なルールの説明から始まり、碁盤や碁石の話や、囲碁そのものの歴史や囲碁界の歴史、それと囲碁界の現状や課題などがコンパクトにまとめられていて、しろうとの私でもとても楽しめた。

ちなみに「しろうと」「くろうと」という言葉は、囲碁から派生している。「ダメ(してはいけないこと)」「一目置く(自分より相手が優れていることを認め、一歩を譲る)」「岡目八目(事の当事者よりも、第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できること)」「定石(しきたり)」「布石(将来のための備え)」なども、囲碁から派生した常用語である。

中国に生まれた囲碁は、朝鮮半島を経由して仏教と同じころに日本に伝来したという。囲碁は日本で1500年もの歴史がある。
囲碁の強い打ち手は、御用学者のように時の権力者に庇護されていたという。戦国の世に京都に生まれた家元が、「本因坊(ほんいんぼう)」である。本因坊算砂という初代の家元は、信長・秀吉・家康に仕えた。
家元は、代々合議で決められていたが、昭和16年(1941年)に毎日新聞が主催するタイトル戦にとってかわられ、毎年予選を勝ちぬいた挑戦者がタイトル保持者と7戦のタイトル戦を戦う。「本因坊」を名乗ることができるのはその勝者である。

現在進行中の「本因坊戦」は、第70期を数える。戦争時(当時は隔年開催)も途絶えることなく継続されていた。あろうことか、1945年の8月6日に、本因坊戦広島市から急遽対局場を移された五日市で対局が行われていた。原爆が投下されたために対局場は大変なことになったようだが、幸いなことに、対局者の命に別状はなかった。このシリーズで、本因坊タイトルを奪取した岩本薫は、自分は原爆で死んでいたかもしれなかったと、戦後は日本棋院に私財をなげうって数億円の寄付をし、囲碁の海外普及に尽力した。

一時、囲碁をオリンピックの種目にしようという動きがあった。少し違和感を覚えるが、野球などよりはるかに広い世界でこのゲームは楽しまれている。かつて日本は間違いなく金メダルを取れる位置にいたが、ここ20年ほどの間に、韓国と中国の台頭に後塵を拝している。ただし、棋聖戦名人戦本因坊戦のように、2日間にわたる持ち時間の長い囲碁は日本独自のシステムなので、世界戦の持ち時間3時間のような囲碁で雌雄を決する戦いは、日本の棋士には少し不利がある。なので、1500m走の強い海外勢と、マラソン経験豊かな日本勢は、実力に大差はないと私は見る。
本因坊戦の井山と山下を見ながら、ぼんやりとそう考えていた。この私の考えを確かめられるかもしれないとこの本を買い求めた。石井妙子は、ほぼ私と同じ意見を本書で書いており、私の願いに応えてくれた。

いずれにせよ、囲碁の世界では、日本と台湾(多くの台湾の棋士が日本で活躍している)、中国、韓国が切磋琢磨して、囲碁の世界を盛り上げている。この、切磋琢磨と文化交流が途切れることなく続いてくれることを祈るばかりである。