遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

国会はカボチャ畑か

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「安保国会を揺さぶる声」
国会議員を「とても」あるいは「少しは」信頼している人は25%弱、他方、学者・研究者(を信頼している)は約65%。

大阪商業大学JGSS研究センターの調査(2012年)結果だ。全国で無作為抽出した数千人を対象に2000年から繰り返し調べている。
ほかの社会制度の信頼度も調べていて、学者のほか自衛隊や裁判所、警察なども高い。70%を超える。あまり変動しない。

人々は自分が選んだ政治家より直接選んでいない専門家をもっと信頼しているようだ。党派性に染まっていない人たちの方が公正な判断や行動ができると思うからではないだろうか。
(今の政権は)学者の意見もデモの声も沖縄県民大会の声もちゃんと受け止めない。一票の不平等の是正を求める司法にも耳を傾けない。

たしかに選挙の洗礼は受けている。「だが、代表制民主主義とは、何年かに一度投票所に行ったら、あとはおうちに帰っておとなしくしている、という制度ではない」。(仏社会科学高等研究院のベルナール・マナン教授)

選挙以外での声は代表制のもう一つの構成要素。代表する者たちは、代表される人たちに完全にとって代わることはできない。選挙と選挙の間のデモや請願の声は騒音ではない
(2015年6月25日 朝日新聞から)

きょう何かのニュースで、米国連邦議会の映像が映った。議員たちや国会職員はみな活き活きとしていた。次の選挙へのパフォーマンスもあるだろうが、自分たちは選ばれた人間でそれに応えた仕事をする、という姿勢がうかがわれる。たとえポーズでも、そういう姿勢は大切なこと。

ひるがえってわが国の国会。なんという緊張感のなさ。カボチャ畑のようだ。

先日の参議院決算委員会では、元巨人軍エースH議員はずっと寝ていた。目が覚めてもついていけない議論展開なのかもしれないが、居眠りを通り越した熟睡態勢だった。その映像が全国に流れていることも知らないのかもしれない。

一方閣僚の最も先頭に座る二人安倍と麻生は、リラックスした風情で質問者に失礼な「にやけ顔」を連発する。自分たちは選ばれた権力者だと思っている。主権は国民にあるという憲法を知らないようだ。先のH議員のように眠っていてくれても構わない。

この期に至って、安倍首相は「戦後70年談話」を、閣議了承を経ないで個人的に実施するという。自民党にこれを止める人間はいないようだ。また周辺国を怒らせる。仮想敵国を首相自ら作りだし、戦争法案をも閣議決定で作りだす。こういうのを「マッチポンプ」という。
「選挙以外の声」、学者や研究者や学生や沖縄県民や世論調査の声に、政権は焦りだしたのかもしれない。

昨年末の総選挙の投票率は52.66%。
そして、小選挙区自民党の得票率は48.10%なのにもかかわらず、自民党小選挙区議席率は75.59%である。

選挙で洗礼を受けているといっても、議席数が多いだけで得票数はこの程度のことである。それにもともと政治家は信頼されていない。「選挙以外の声」が大きくなるのは当然のことである。これこそが代表制民主主義である。
戦前とそこが違っているのだカボチャ諸君。憲法のおかげだ。