甲子園球場が8月1日、開場から100周年を迎え、記念式典のあと阪神タイガース対読売ジャイアンツの試合が行われました。
記念すべき試合は、阪神が9-2で快勝しました。節目の試合に弱い印象がある阪神ですが、昨夜は巨人戦同一カード3連勝を決め、100周年に花を添えました。
甲子園球場は阪神タイガースの本拠地であると同時に、高校野球の聖地でもありタイガースのみならずすべての野球選手の甲子園への思い入れは特別なものがあります。
私が初めて甲子園に足を運んだのが小6になる直前です。1965年のセンバツ高校野球大会を観に、当時中学生だった従兄に連れて行ってもらいました。あれからもう59年経ちますが、当時の甲子園はまだ開場41年だったことを思うと、感無量であります。
1965年の第37回選抜高等学校野球大会は、1965年3月27日から4月4日(雨で1日順延)まで行われ、私は準々決勝の日に甲子園にいました。当日は、大会準優勝をした私立和歌山商業や、当日敗退した地元大阪のPL学園や、北海道からやってきた苫小牧東高校が印象に残りました。
動体視力がまだ未熟な私にはピッチャーの投げる球が速くて見えなかったこと。私立和歌山商業の藤田平(のちの阪神)が大会2本のホームランを打っていて彼の打順での紹介アナウンスで大きな拍手が起こったこと。高身長のエース加藤を擁したPLが負けたこと。エンジのアンダーシャツの苫小牧東のひとりの選手が私のいた内野スタンド付近にファウルフライを何度も撃ち込むのでそれが怖かったこと。4試合目の岡山東のエース平松(のちの大洋)の登板前に甲子園を後にした残念な気持ち。当時のそれらのことを今もよく憶えています。
これからの甲子園の100年は想像を絶するものですが、それにしても猛暑の甲子園は選手も観客も大変なことになってきていますので、そろそろ大屋根の設置やドーム化を考えてはいかがでしょうか。
ということで、なにはともあれ甲子園開場100周年、まことにおめでとうございます