遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

PL学園高校校歌

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はじめて甲子園球場高校野球を見に行ったのは、小学6年生になったばかりの春のセンバツ高校野球
中3で野球部だった従兄弟に連れられて、大阪のPL学園をお目当てに出かけた。テレビではプロ野球を楽しめていた小学生だったが、野球経験もなく動的視力も未発達な私は、甲子園のスタンドからはピッチャーが投げるボールがよく見えなくて、あまり試合を楽しめなかった。

PL学園はエースが加藤という長身だったこと。でもPLは敗退した。
◆前の試合で、市立和歌山商業の藤田の打席で拍手が起きたこと。藤田平(のちの阪神タイガースドラフト1位)は、この大会で1試合2本塁打という選抜タイ記録を記録していて稀代のスラッガーだった。(本大会の全本塁打はたったの5本で、うち藤田が2本打っていたのだった。)
◆PLの次の試合で、苫小牧東高校の選手が粘ってファウルをスタンドにたくさん打ち込んできて、私はスタンドで怯えていた。(でも「苫小牧」を「とまこまい」と読むことや、それが北海道の町だということを習得できた。)

これらの記憶を頼りにググってみたら、その日は1965(昭和40)年4月2日の準々決勝の日だったことが判明。この大会は決勝戦を岡山東(当時は商業)と市立和歌山商業が闘い、岡山東の平松(のちの大洋ホエールズ)が強打の市和商をねじ伏せた。平松と藤田の2大スターの対決は、テレビで熱く観戦したことを覚えている。

あの日から51年、お目当てのPL学園高校は今日(17日)最後の試合(3年生の引退試合)を終えまさかの休部に入った。
最後は6対4で勝利しグランドで12人の野球部員が校歌を聴いた。例年の引退試合硬式野球部の紅白試合となるのだが、今や硬式野球部は3年生だけの12人の部員となったため、最後は軟式野球との引退試合だったという。

私は母校の高校の校歌をほとんど覚えていないが、PL学園の校歌は歌詞があれば歌うことができる。この50年間に最も数多く聞いた校歌だからである。素晴らしいOBを多く輩出した野球部だからまたぜひ復活してほしいと願う。ただし、下級生が上級生の世話をする「付き人」制度は復活することなく、強いPLに戻ってきてほしいと願うものである。

ということで今日ご紹介の「ぼくのうた」は、私の好きな高校の校歌ベスト3。
PLと池田は、両校の全盛期に何度も耳にした世にも有名な校歌。両校の校歌とも歌うことができる。そしてもう一校、桜美林高校のそれは、一度聴いていいなあと思った名歌。オベリンナーが「イエス イエス イエス」と叫ぶところが印象的。

PL学園高校(大阪)校歌
■池田高校(徳島)校歌
桜美林高校(東京)校歌