遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

100年前に造られた至宝神宮外苑は、150年かけて完成する予定です

東京新聞の5月30日付け紙面に、
「(山梨県韮崎市で)明治神宮外苑を造営した際の地域の献金者名簿(上の画像)が見つかった」というニュースとともに、大正初めに神宮外苑が造営されたことにも触れられていて「日本の近代化を進めた明治天皇昭憲皇太后をしのんでつくられた明治神宮は、社殿のある内苑を国のお金で賄ったのに対し、外苑は国民からの寄付と勤労奉仕を元に造営された。名簿を見ると全国津々浦々の人々の思いと寄付によって造営されたことを実感」とあります。

神宮外苑は「クラファン」で造られていた! 山梨で「献金名簿」発見 全国から協力 再開発「国民の声聞いて」<ニュースあなた発>:東京新聞 TOKYO Web

私はこの夏、明治神宮造営の物語、朝井まかて「落陽」を読みました。

本来神社の杜は天に向かって真っすぐに伸びる針葉樹で作られるべきで、原宿の西に広がる乾燥した荒地に針葉樹を植えても育たないことから、当初あの場所は不適当と認定されていました。

しかし、150年後に完成する杜として、先人たちの叡智(落葉樹を植える)と献金(700万人から703万円)と樹木の寄進(献木は約10万本)と勤労奉仕(のべ11万人)によって、神宮の杜は針葉樹とより多くの落葉樹(広葉樹)で造られ、できる限り皇居に近い場所として、内苑には代々木御料地、外苑は青山練兵場があてられました

余談ですが、朝井まかての「落陽」は、明治天皇崩御を象徴したり、明治天皇が故郷として思慕していた京都(別名「洛陽」)と、「落葉」樹のことが掛け合わされたタイトルのようです。

明治神宮1920年に造営されましたが、「150年に完成する明治の杜」は、いまだに完成していない杜です。明治時代に遷都された東京は、国を挙げて都市整備に力を注ぎ、その集大成と言えるのが明治神宮の造営だったと言えましょう。

先人が150年先の完成を夢見た明治の杜、神宮内苑と神宮外苑を、東京が質量ともに世界一の大都市となった今こそ、次の世代に引き継いで完成すべき「矜持」だと思います。

#神宮外苑の樹木伐採に反対します