遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

明治神宮の造営とその時代を描いた朝井まかての「落陽」を読みました◎

落陽 朝井 まかて (著) 祥伝社文庫

牧野富太郎の伝記小説、朝井まかての「ボタニカ」を読んでいて、巻末の祥伝社の本の紹介で見つけたのが「落陽」でした。

かねてから、明治神宮の杜に興味を持っていたのですが、その杜が作られるに至った経緯や、全国から寄進された樹木のことなどが楽しめる小説なんだろうなと読み始めました。

「死後は、京都にねむりたい」とする明治天皇は京都の桃山御陵に葬られました。

大政奉還や王政復古の後、東京遷都のため明治天皇が京都を出たのが数えで17歳で、荒んだ東京がいやだったり江戸城が皇居になったことも不満だったようで、明治天皇は生前はお国のために尽くした後、死んだら京都に帰りたいと決めていたようです。

そのため、東京に陵墓がかなわなかったことから、東京に明治天皇を祀る神宮の造営が計画され、その動きを察したとある三流新聞の若き記者たちは、明治神宮造営の動きをスクープすべく取材を始めるのでした。

全国から寄進された10万本の樹木を、人っ子一人いない原宿駅の近く、砂埃が立つ代々木御料地に植樹して神宮の杜の完成を想定した造営が始まります。

神社の杜は、天にまっすぐ伸びるスギやヒノキの針葉樹で本来は構成されるべきですが、乾いた代々木の御料地ではそれらが育たないことから、150年後には広葉樹の杜になるべく、さまざまな種類の植樹が行われました。

現在100年を経過した神宮の杜ですが、大正の初めの計画は思いのとおりに進捗していることを私たちは確認できます。先人たちの世紀の大事業に拍手と経緯を贈りたいと思います。

100年以上も前の東京に、熱い血と言葉を持った若い記者たちを著者の朝井まかては放ったのですが、彼らの思いや会話や行動を通して、皇室、近代化、戦争、ジャーナリズム、樹木、市井の人の暮らしなどを体感できます。

神宮の杜の物語という枠を超えて、それは形を変えた荘厳な「杜」のように見え、歴史の教科書の行間に埋もれたままの天皇をはじめとする明治や大正人の気概や時代の風を感じることができる、読むべき優れた小説に仕立て上げられています。

神宮の外苑の木が切られて都市計画が進みそうですが、100年前の政治家や学者や経済人や職人たちは、草葉の陰で泣いていることでしょう。

それにしても私は、神宮の本殿のある内苑には足を向けたことがありません。上京する機会があれば、いまは華やかな原宿駅から一の鳥居を目指して西に足を向けたいと思います。

 

www2.nhk.or.jp