農耕と彼岸
春分と秋分は、農耕と言う観点から眺めると、
春分:種苗の時期
秋分:収穫の時期
にあたり、作物を育てる太陽と自分たちを守る祖先神への信仰と言う土着の信仰が仏教伝来以前からあり、春分には豊穣を祈り、秋分には収穫に感謝して供え物をしたことが原型と考えられます。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0730.htm より
この3連休、秋のお彼岸。
お寺さんに、お供えを届け(金封は「黄色」だったか)、
墓まで女房と長女を送り、墓掃除は女房と長女に任せ、
クラブ活動の次女を学校近くまで送りとどけ、
その帰りに墓掃除の2人をピックアップして、
単なるアッシーだけの、罰当たりな過ごし方をする。
しかし、「おはぎ」(スーパーで購入)だけはいただく。
粒餡の正統なおはぎのほか、きな粉・青海苔・豆入り大福などのバリエーションあり。
おはぎは、粒餡の粒小豆が、萩の葉っぱに見えるからおはぎ。
春のぼた餅は、大ぶりのものを盛り付けた姿が、牡丹の花のようだから、ぼた餅。
だと思っていた。ま、当たらずとも遠からずで、間違いではなかったようである。
正しいことは冒頭のサイトに詳しい。
田んぼのあぜ道には、彼岸花がすでに赤いモールを作っている。
まんじゅしゃげ【曼珠沙華】
1 《梵majuakaの音写。如意花などと訳す》仏語。白色柔軟で、
これを見る者はおのずから悪業を離れるという天界の花。
2 ヒガンバナの別名。《季 秋》
悪業を離れるという天界の花「曼珠沙華」と、あぜ道の彼岸花は
同じだと思っていたが、違うものなんだ。
しかし、広辞苑-によると、
サンスクリット語 manju~saka 天上に咲くという花の名。 四華蓮華の一で、見る者の心を柔軟にするという。 四華蓮華は法華経が説かれるとき空から降るという四種の蓮華。
1.白蓮華すなわち曼陀羅家華、
2.大白蓮華すなわち摩訶曼陀羅華、
3.紅蓮華すなわち曼珠沙華、
4.大紅蓮華すなわち摩訶曼珠沙華。)
3.が彼岸花で、やはり、同じものか。
白い彼岸花の画像も見つけたぞ。うーん、よく分からない。
古代から、暦の出来る前から、人は自然に感謝して生きている。
たとえ、台風や洪水や地震などの自然の猛威を前にしても、
「オー・マイ・ゴッド」とか「神も仏もないものか」などとは、
決して思わなかったのであろう。
自然の恵みのほうが、遥かに大きいから、
一時的な自然の猛威を、耐えることでやり過ごしてきたのであろう。
だから、人工の手が入りすぎた自然界には、不自然なことが起きつつある。
収穫のこの時期に、おはぎをいただき、台風の風に流れる雲を見て、そう思った。
清く・貧しく・美しき先人たちに、お線香と合掌。