遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

小説「TIMELESS」/朝吹真理子

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TIMELESS   朝吹真理子  新潮社
 
芥川賞作家の7年ぶりの長編小説だという。受賞以来長らく言葉を磨いていたのだろうか、私には、初めての朝吹真理子である。
 
ストーリーを語ってもネタバレにならないのが、このような詩的な小説。登場人物の名前もなんだか詩的で素敵で、女の名「うみ」「こよみ」「芽衣子」「初子(ういこ)」、男の名「アミ」「アオ」「桃」などが印象的。
 
主人公うみは、高校の同級生アミ(被爆三世)と愛のない「交配」のための結婚をし、アオという名の長男を産む。
 
夫のアミは失踪し、その後妻うみは長男アオより5歳年長のこよみという少女を養子に迎えて、3人の家庭を築く。
 
3人は、広島や長崎を旅する。母親うみの作成カリキュラムによるさりげない平和教育か。ワシントンに旅したうみとこよみとアオは、スミソニアン博物館で、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイ(B29)も見上げている。
 
うみの広島への高校の修学旅行の思い出も、ところどころに挿入される。当時は、名前しか知らなかった同級生のアミの平和記念資料館での「事件」も挿入され、本編とうみにその「事件」と原爆が通底する。
 
アミは調香師で、本作に登場した時にはジンの香りのする香水をまとっていた。私もそれを欲しいと調べたが、手の出ない価格だったのでその香水の名前も忘れてしまった。(ペンハリガンのジュニパースリングだったか…)
 
その昔、麻布が原(いまの六本木あたり)で江姫(浅井長政と信長の妹市の三女、徳川秀忠の妻、家光の母)が荼毘に付されたエピソードを、六本木界隈を歩きながらうみはアミから教えられる。江姫の火葬のにおいを消すために、大量の高価な香木が焚かれ、その香り高い煙は空高く舞い昇ったという印象的なエピソードであった。
 
巻末には、献辞をさまざまな人や作品(武満徹のエッセイや酒井抱一の絵画など)に捧げていて、それらが本作の骨格になっていることがぼんやりと感じ取れた。また、表紙の写真や装丁や主人公たちが訪れる旅先やブランド小道具など、洒脱な雰囲気が上質な香水のように全編に漂っていて美しい。
 
実にファッショナブルな小説だが、過去の黒い雨をもたらした広島と長崎の原爆や放射能の雨をもたらした福島原発事故を扱い、時制は未来に飛んで東京五輪でのテロ事件や南海トラフ地震が、成長したアオの声で「過去形」でごく薄口でさらっと語られたりしてタイムレスでもある。
 
はじまりから最後まで、不思議で心地よい感覚がずっと消えない読書体験だった。