大島へは本州から橋が架かっていて、クルマですぐアクセスできる。島内で一泊したが、とてもいいところで、海を見晴らす丘の中腹に別荘らしきものをいくつも発見し、私も周防大島に心の中でバーチャルな別荘を建てて帰ってきた。
その周防大島で、12日から行方不明だった幼児の無事発見を伝えるニュースを見て、驚いた。半ばあきらめてたのでとても驚いて、その後安堵した。
坊やを発見した大分から来たボランティアの尾畠春夫さんのバイタリティに感動した。
報道ステーションを見ていたら、尾畠さんの過去のボランティア活動の映像が次々に出てきて、ああそういう貴い方なのかと初めて知った。
尾畠さんは、東日本大震災の頃の風貌から見ると、今はスリムになって精悍になっておられ、78歳にはとても見えないお姿に感心した。
軽自動車で寝泊まりしながら、一切の礼を受け取らず、日本中でボランティア活動をしておられるという。立派な方を知って、清々しい心持になったが、その後、私なんぞ何の役にも立たない木偶の坊だと、清々しさは鈍く濁ってしまった。
報道ステーションのスタッフは、早朝、山に入る前の尾畠さんと遭遇しインタビュー取材をしている。坊やが見つかった後に、私はその尾畠さんの言動を見ているので、いかにも彼は勇気があり有能に見えたが、初めて出会った独りで山に入っていく老人を見てどう感じただろうかとも思うのである。
報ステのスタッフもそれに近かったのだろうか、尾畠さんは報ステのスタッフと別れて20分後に坊やを発見していたのだが、その瞬間映像は撮れていなかった。尾畠さんをそのまま追跡していたら感動巨編が撮れていただろうに、残念なことであった。
それにしても、防災スピーカーでわが子の名を呼ぶ母親のエコーのかかった声は、痛々しくて耐えられないものだっただけに、坊やが無事だったことに心の底からよかったと思った。人の命の重さを感じられた終戦記念日だった。