遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

罪の声/塩田武士

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 罪の声   塩田 武士    講談社

1984年にグリコの社長が誘拐されて身代金が要求され、その後、森永製菓やハウス食品などの食品メーカーが、自社の製品に青酸ソーダとともにスーパーに置かれ、日本中がパニックになった「グリコ森永事件」。

私は、その事件の最初の舞台になった大阪府の北部(北摂地域)や京都市で生活したり仕事をしていたので、とても身近に感じていた事件だった。淀川沿いの京都府南部の市部に住む当時の私の同僚は、当時の警察のローラー作戦による自宅での聞き込み捜査に何度か遭遇していた。

塩田武士の「罪の声」は、その「グリコ森永事件」をベースにしたまるで事件捜査のドキュメンタリーのような小説である。

父親の遺品の中に、自分が子どものころに吹き込んだある食品会社の恐喝事件に使用されたテープを発見する主人公俊也。

「きょうとへむかって1ごうせんを2きろ ばすてい じょうなんぐうのべんちのこしかけのうら」
これは、当時食品会社へかかってきた電話による、現金輸送車を誘導するために指示書を貼り付けた場所を指定する子どもの声である。

父親は、自分を利用して現金要求を支持する音声を録音したあの犯人なのだろうか。今はテーラーを営む俊也は、まだ幼かった自分もその事件にかかわって世の中に衝撃を及ぼした犯人一味なのではないだろうかという疑問から、父親の親友とともに事件の関係者をあたって真相を追求しはじめる。

一方、もう一人の主人公が阿久津。彼は、大新聞社の文化部に所属する新聞記者だが、ある日あの事件の特集記事の執筆メンバーとして、社会部の鬼のような敏腕キャップから事件の取材を言いつかり、ロンドンへ送られる。

阿久津は、自ら能動的に取材をして記事をしたためてきた経験はほとんどなく、正にゼロからスタートした取材とともに、キャリアを積んでいく。

同い年の俊也と阿久津が主人公となって、別々に30年前の大事件の真相を追いかけていくという、2つの流れがやがて一つに合流する。

私は、当時テレビで流れていた、犯人が送ってきた子供のような声で録音された指示命令が非常に印象深く脳裏に残っている。

「警察へ」を「けえさつえ」と揶揄した多くの脅迫状や、実際に青酸ソーダとともに食品棚に置かれた食品や、犯人グループが神出鬼没で大立ち回りなどと同じく、あの子どものような声の録音はとても印象深く覚えている。

事件当時はまだ5歳くらいだった著者塩田武士(1979年生まれ)は、本作でその「録音」を担当した複数の子どもたちの来し方をドラマ仕立てにして、事件の真相を解明していく。

グリコ、森永、ハウスなどの食品メーカーは、小説では架空の会社名が使われているが、事件の経過や成り行きなどはほぼ実際に登場する。大阪府警警察庁滋賀県警はもちろん、事件の舞台となった地名や、事件発生日時や、「キツネ目の男」などの登場人物は等身大の「グリコ森永事件」である。

それらに加えて、著者は巧みなグラデーションで「実在」人物との境界線がはっきりしない「創作」人物を登場させて、彼らを生き生きと作中で動かせてみせる。

著者はかつて将棋担当の新聞記者だったそうだが、400頁を擁したこの小説の中では社会部記者として見事な取材を完遂した。