遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

十九の夏

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「ようやく朝夕涼しくなって、

私の十九の夏は終ってしまいました。



大学生になって、初めての夏。

学校を超えた遠足サークルの仲間と、

まず、四万十川道後温泉に行き、

次に富士山に挑戦し、

みごと山頂を征服しました。


そのあと、瀬戸内海の小島で、

何もない海だけの小島で、

釣りなどをして数日間をのんびり過ごし、

それから、ローカル線で名古屋までひつまぶしを食べに行きました。


名古屋行き以外は、すべて男子学生も一緒でしたから、

父親は大丈夫かいなと、あらぬ心配をしていました。

世の中、父親みたいな人間ばかりではありません、

真面目な人ばかりなのです、ただし、イケメンはいなかった。



忙しかったけどこんな楽しい夏はもう2度と来ないかもしれません。


また、生まれてはじめてのバイトを経験しました。

自給は900円を少し切る程度ですが、

せっせと稼いで、旅行代金を全て負担してくれた親に、

少しづつ返済しなくてはなりません。


バイトは、比較的勤務時間の自由が利く、

近くのターミナルの、とある食べ物関係のお店の売り子をしています。

父親はその店で働くことに反対のようでしたが、

母親は何でも経験!、と比較的寛大でした。

というか、「早く金返せ」ということだったのかもしれません。


入学と同時に所属した、学校のジャズバンド活動も真面目にやり、

アルト・サックスもかなり上達しました。

デューク・エリントンの「A列車で行こう

スティービー・ワンダーの「サー・デューク」を、

秋の演奏会に向けて、只今練習中です。


「サー・デューク」って、デューク・エリントンに捧げた曲だと父から聞いて、

少し驚きました。



妹は、受験生の夏でしたから、実際は大変なんでしょうが、

なんだか悠々としていて、ひょっとしたら第一志望はもうあきらめたのかも。


私も去年の夏は受験生でしたが、

今年の夏は、まったく別の季節でした。

夏までの学校の成績は、いい評価をもらえたし、

今のところ楽しい生活を送れています。



でも、相変わらず本は春から1冊も読んでいませんので、

両親からその点をかなり突っ込まれています、

それがたったひとつの反省点で、

あとは大満足の十九の夏でした。」





以上、長女の夏を私が作文にしてみた。

まったく、楽しそうで、

しかし将来どうなるものかと、

この国の行く末などと比較にならないほど、心配なのである。