この作品が発売されてしばらくたった1980年以来のこと。
同じ作品を2度読みすることは稀な私、
娘の所有する文庫本を手に取った。
この「僕と鼠」シリーズ3部作は当時すべて読んでいる。
『風の歌を聴け』 (かぜのうたをきけ) は、村上春樹の第一作。 群像新人文学賞を受賞し、1979年6月、文芸誌『群像』に発表。 同年、芥川賞上半期の候補作品にノミネートされている。 「僕と鼠もの」シリーズの第一作。
この作品は国籍不明の空気が漂っていたという遠い記憶、
夏休みが終わると、主人公の「僕」はちゃんと東京の大学に戻る予定があり、
日本のお話であった。
ただ、村上春樹が創りあげた、物語のゆっくりした時間の経過や、
それまでの作家にない文体は、翻訳本を読んでいるような気分になる。
私は遠い昔にそういう気分になったことは、いまだに憶えている。
「僕」とふるさとの友人「鼠」を取り巻く、1970年の8月の短い物語であり、
「僕」が思い出す自分の過去のお話と、
現在進行形のふるさとの街の「ジェイズ・バー」でのお話など、
ひとつひとつのエピソードは、少なからず刺激的で、
(とはいえ、暴力沙汰やセックスシーンなどはない。)
私にはそんな経験は神が与えてくれなかった。
しかし、作品のなかを吹く風は、決して刺激的ではなく、
夏の日の早朝の清涼な風が吹いている感じである。
ほんとはちょっと違いけど、刺すような風は吹いていない。
作品中の架空の作家や鼠の読んだ本が語りかけるものは、
読み手を頁の外にしばしば運んでくれる。
たとえば、
「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、
その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである」
とか、
医者の言ったことは正しい。文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、
文明は終る。パチン……OFF。
とか、
「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている」ということだ。
といったくだりである。
この作品は、作者のデビュー作であり、群像新人文学賞を受賞し、
芥川賞候補にもなった。
丸谷才一は、
とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちっとも淀んでゐないところがすばらしい。 29歳の青年がこれだけのものを書くとすれば、今の日本の文学趣味は大きく変化しかけてゐると 思はれます。 この新人の登場は一つの事件ですが、しかしそれが強い印象を与へるのは、彼の背後にある(と 推定される)文学趣味の変革のせいでせう。 この作品が5人の選考委員によつて支持されたのも、興味深い現象でした。
と手放しの褒めよう。
5人が支持しても受賞は逃したようである、
でもこの5人が推したことのほうに意味があると、
私はいまそう思う。