あなたの燃える左手で 朝比奈 秋 河出書房新社
2023年に第51回泉鏡花文学賞と第45回野間文芸新人賞を受賞した朝比奈秋の「あなたの燃える左手で」を読みました。同じ2023年に三島由紀夫賞を受賞した「植物少女」についで、朝比奈作品を読むのは2作目となります。
ハンガリーに住む日本人アサトは病院で内視鏡技師を勤めていますが、とある理由で現地で左手首から先を失った後「幻肢痛」に苦しみ、その解決策として他人の手を移植しました。
手を喪失すると酷い幻肢痛に襲われ、手を移植すると他人を体内に抱える違和感にさいなまれるという、まるでファンタジー小説のように本作は私の知らない世界に連れて行ってくれます。小説を読みながら、何度も自分の手を観たり動かしたりする初体験も楽しいものでした。
医師である著者が客観的にアサトの手の移植周辺のディテールを描写してくれますが、アサトの心のなかを行き来する苦しみや葛藤や喜びもダイナミックに表現されています。
ここまでで一冊の重い短篇を読んだ気がしてしまうのですが、アサトの妻ハンナの物語がもう一つのラインを走ります。
ハンナはクリミアで生まれ育ったウクライナ人ですが、ロシアにクリミアから石もて追われキーウで活動するジャーナリストです。「領土」という現実世界のシリアスな問題が、ハンナの物語として立ちあがってきます。
「喪失」し「炎上」するアサトの「左手」とハンナの「クリミア」が、読み手には同じ意味を持ってのしかかってきますが、一方で、ハンナのウクライナ語が京都弁に聞こえるアサトの耳に則して、ハンナの喋ることばがすべて京都弁で書かれていて、そのユーモラスな試みが微笑ましくて感心します。
島国育ちと時にからかわれるアサトは、手を移植したハンガリー人医師の視点で書かれた章で「揶揄」より厳しい目で見られていて、同じく島国育ちの脳天気な自分にもいろいろ心にしみてくる小説でした。
近年の純文学は実験的な文体が多くてにぎやかですが、朝比奈作品は(まだ2冊を読んだだけですが)生身の人間が主体となった物語で読みやすくて、医療周辺にとどまらないスケールの大きさを感じます。
著者は7月に「サンショウウオの四十九日」で芥川賞を受賞したばかりですが、短期間で新人作家の登竜門というべき野間文芸新人賞と三島賞と芥川賞を異なった作品で一度のノミネートで受賞するというのがすごいインパクトで、今後も彼の作品を楽しんでいきたいと思っています。