「若い者がふさぎこんだりかっとなったりすると、よくそういったもんだよ。『お前の背中 に黒い犬がべったりついている』って。今のあんたもそうだろ」 ふさぎこんでいる? そう非難されたのは何年ぶりだろうか。その日の気分を平気で顔に出 す弱輩者のようではないか。 「そういえば聞いたことがあります。わざわざ説明していただいて、どうも」 「どういたしまして」
タイトルの「黒い犬」とは、上記の会話の「あんたもそうだろ」と言った、
ハリーという老人の愛犬、黒いラブラドールリトリーバーのことだと思っていた。
385頁まで読み進んで上記の箇所に差し掛かり、
ああそういう言い回しのことだったのかと気付く。
の前作がこの「黒い犬」。
英国の風光明媚な田舎町出身で、
その生まれ育った土地で警官になったベン・クーパー。
この愛すべき青年刑事と、
都会から何らかの理由で赴任した、
若くてやり手の切れ者刑事ダイアン・フライ。
ふたりとも黒い犬が背中にへばりついた、
悩める若者であった。
しかし、この男女は次期部長刑事候補に一番近い、
能力のある刑事でもあった。
私の今いちばん行ってみたいところのひとつが、
英国のコッツウォルズやピーク・ディストリクト。
しばらく住んでみたいようないいところである。
そんなピーク地方を舞台としたこの物語、
例によってゆったりと時間が流れる。
初対面のベンとダイアンはふたりでチームを組み、
ライバルとして火花を散らしながらある事件に挑む。
本線はこの事件の捜査であるが、
ベンとダイアンのさまざまな場面での心象が三人称で描写される。
その心理描写は、重厚で巧みな表現でそこここに登場する。
ふたりの背中にべったりへばりついている黒い犬は、
やがて姿をあらわしてくれる。
このふたりのシリーズ小説がここから始まった。
ふたりとも、自分の背中の黒い犬を、
誰の手も借りずにはがすことができるのかどうか、
このシリーズのもうひとつの深いテーマも、
ここから始まるのである。