大阪にやってきているから来ないかとの旧友からの誘いで、
この旧友に会うことを先延ばしにすると、年単位のスパンで会えなくなるため、
引越し準備の真っ最中にもかかわらず、山にも海にも行けない1週間の夏休みを翌週に控え、
36℃の炎天下を出かけていった。
ヒンドゥー教のシバ神やビシュヌ神の石像が、
マクラフリンの傾倒していたインドの高僧が名付け親のマハビシュヌ・オーケストラは、
このビシュヌ神に命名のルーツがあったのだと膝を打つ。
砂岩で作られた数々の石像は、明るくて艶かしくて、当時の王朝の栄華を現すかのようであった。
当時の人たちは、
自然を崇(あが)め、神を崇め、王を崇め、暮らしと平和を崇め、
永遠の幸せを祈ったのであろう。
クメール美術は「祈りの芸術」であった。
ポルポト派の戦士は、おおらかな時代に思いを馳せ嫉妬心で石仏の首を刎ねたのかもしれない。
街の喧騒をよそに、私は親しい友と「天空の楽園」のなかにいた。
仏教とヒンドゥー教が混交する幻想世界のなかに居た。