遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

白氏詩巻/藤原行成

イメージ 1

藤原行成の「白氏詩巻」




うちの専務と私の会話。

中途採用者の履歴書を前に専務
「履歴書の字を見たら、おおよそその人物がどういう人か特定できます。」

それはちょっと決め打ちすぎだなぁと思い
私「そうですか?それはちょっと…(承服しがたい)。」

専務「いえいえ、私の経験上、字の汚い人はだいたい駄目です。」

専務の字も、最初読むのに苦労した。

忙しい人だから、走り書き文字なのであるが、ま、下手ではないが。


続けて専務「○○さん(私の部下、男)なんか、そうでしょ。」

私「○○クン、確かにひどい字ですけど、仕事は字ほどひどくありませんよ。
  うちの役員さんたちも、けっこう字は下手ですけど…。」


それは認めたのか専務「それと、文章がきちんと書けない人もだめですね。」

私「それは(ある程度だけど)納得します。」


ことほど左様に、世間では字の上手な人は、

その人の本質以上に持てはやされる。

字の上手さは、徳があると思われる節がある。


人を、外見や字や文章の巧さで判断してはいけない。



私自身、字が下手だとかつて言われたことはない。

上手だと言われることはよくある。

筆で書く機会も少なからずあるが、それが苦手ではない。


しかし、私の書く字は我流文字である。

私の字が上手だというお人、それは間違っている。



周囲は、お勉強ができ、資格を持っている連中が多いが、

私はお勉強は嫌いであるから、そもそも頭も悪いので特技・資格は何もない。


そんな私でも、書道は習ってみたいと常々思っている。


画像の書は、日本三蹟の一人、藤原行成の「白氏詩巻」(国宝:東京国立博物館蔵)である。


平安時代の宮廷貴族は、教養として漢詩や和歌の素養、文字を巧みに書くことなどが求められていました。
漢詩の中でも、とりわけ唐の詩人・白居易の詩集『白氏文集』が大いにもてはやされました。
この「白氏詩巻」は、その白詩愛好を受けて美しい染紙の料紙に書写したもので、三蹟の1人として知られる藤原行成47歳の自筆です。
行成は当時盛行していた小野道風の書法の影響を受け、明るく瀟洒で優美な和様の書法を完成させました。


我が国の書の大家は、

日本三筆=嵯峨天皇空海橘逸勢(たちばなのはやなり)と、



三筆(さんぴつ)が、中国の影響を受けた書であるのに対して、

三蹟(さんせき)は、豊満で柔らかな和風の書体で知られる。


約1000年前の墨痕鮮やかな書。

藤原行成(972-1027)47歳の筆跡は、如何であろう。



この域まで来れば、字で人を判断しても、イイかもしれない。

こんな官能文字で、恋文でも贈られようものなら、

地の果てまでも、ついて行ってしまうかも知れないなぁ。