藤原行成の「白氏詩巻」
うちの専務と私の会話。
それはちょっと決め打ちすぎだなぁと思い
私「そうですか?それはちょっと…(承服しがたい)。」
私「そうですか?それはちょっと…(承服しがたい)。」
専務「いえいえ、私の経験上、字の汚い人はだいたい駄目です。」
専務の字も、最初読むのに苦労した。
忙しい人だから、走り書き文字なのであるが、ま、下手ではないが。
続けて専務「○○さん(私の部下、男)なんか、そうでしょ。」
私「○○クン、確かにひどい字ですけど、仕事は字ほどひどくありませんよ。
うちの役員さんたちも、けっこう字は下手ですけど…。」
うちの役員さんたちも、けっこう字は下手ですけど…。」
それは認めたのか専務「それと、文章がきちんと書けない人もだめですね。」
私「それは(ある程度だけど)納得します。」
ことほど左様に、世間では字の上手な人は、
その人の本質以上に持てはやされる。
字の上手さは、徳があると思われる節がある。
人を、外見や字や文章の巧さで判断してはいけない。
私自身、字が下手だとかつて言われたことはない。
上手だと言われることはよくある。
筆で書く機会も少なからずあるが、それが苦手ではない。
しかし、私の書く字は我流文字である。
私の字が上手だというお人、それは間違っている。
周囲は、お勉強ができ、資格を持っている連中が多いが、
私はお勉強は嫌いであるから、そもそも頭も悪いので特技・資格は何もない。
そんな私でも、書道は習ってみたいと常々思っている。
我が国の書の大家は、
三筆(さんぴつ)が、中国の影響を受けた書であるのに対して、
三蹟(さんせき)は、豊満で柔らかな和風の書体で知られる。
約1000年前の墨痕鮮やかな書。
藤原行成(972-1027)47歳の筆跡は、如何であろう。
この域まで来れば、字で人を判断しても、イイかもしれない。
こんな官能文字で、恋文でも贈られようものなら、
地の果てまでも、ついて行ってしまうかも知れないなぁ。