遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

経営はロマンだ!/小倉昌男

イメージ 1

経営はロマンだ!   日経ビジネス人文庫
小倉 昌男 (著)    価格: ¥630 (税込)


私のお気に入りのブログで、東京下町のレトロな風景写真の中に、

クロネコヤマトの宅急便の立て看板を見つけて、

小倉昌男を思い出した。



いつの頃だったろうか、郵便配達事業の民間委託についてだったか何かで、

国会の郵政委員会(か何か)で、クロネコヤマトの社長が意見を述べる、

というニュースをチラッと見かけたことがある。


そのヤマト運輸の社長だか会長が、小倉昌男であった。


チラッと見ただけだったが、話し方も風貌もジェントルマンで、

失敬な偏見だが、宅急便の会社の社長というイメージとは少し違った。


次に、小倉昌男とマスメディアで出会ったときは、

もうヤマト運輸を辞め、身障者が働くための社会福祉に手を貸す人としてであった。



小倉昌男の「経営はロマンだ!」を読んだきっかけは、

社内の研修の事前資料として指定された書籍であったからである。

研修自体は、講師がひどくて、NGだったのだが、

小倉の著書は、すこぶる面白かった。


関東の方には、ヤマト運輸(旧社名「大和運輸」)は、

三越をはじめとする、百貨店の配達業務を一手に引き受けている運送屋さんとして、

昔からお馴染みの業者であろう。(関西人の私は、知らなかった。)

現存する運送会社では、最も歴史のある業者なのだそうである。

その老舗の二代目オーナー社長が、小倉昌男であった。



諸般の事情で倒産寸前に立ち至った会社を、再建するために、

社長の小倉は「宅急便」をやりたいと、役員会に提案するが、

「そんな効率の悪い商売が儲かるはずがない」と一蹴される。

しかし、運送業大手に対抗できるのは、百貨店の配送で培った、

小回りの利くヤマトの配送スキルだ、それを活かすのが生き残り戦略だと、

小倉も譲らなかった。


結局、小倉の味方をして、ダメモトでもいいから「宅急便」をやってみようと、

協力を申し出たのは、なんと、労働組合だった。

現場を一番よく知る労働組合が、「このままではこの会社はヤバイ」と思っていたのであろう。


すったもんだの末、宅急便は関東一円でスタートした。

1976年の1月のことであった。ちょうど、30年前のことである。

宅急便の初日の取り扱い荷物は、11個であった。


その後の宅急便の成功は、ご存知のとおりである。

大手も宅配システムに参入してきたことも、周知のとおりである。

そしていま、ネット・ショッピングと宅配システムは、切っても切れない関係となった。



小倉は軌道に乗った会社を後継に譲り、後半生を社会福祉に生きた。

最低限の生活費だけを手元に残し、私財をすべてなげうって、

身障者が働ける事業をはじめた。



「身障者の月給は1万円でもいい」というのではだめ、

彼らが10万円以上の月給が取れる事業を展開しないと、真の社会福祉ではないと、

パン屋の経営に乗り出し、チェーン店展開をする。


企業はオーナーのものではなく、社会のもの、従業員と彼らの家族のものである。

その経営トップとしての心根は、ヤマトでもパン屋さんでも同じであった。


昨年、小倉は80年の生涯を閉じられた。

彼の自伝「経営はロマンだ!」は、現代の偉人伝である。


前半生のヤマト時代は、官僚とのケンカ人生であった。

彼は、不条理に我慢がならない人であり、

相手が誰であろうと、徹底的に闘う人であった。


そして、後半生は福祉の人として、光の当たらない人に手を差し伸べた。


群れるのが嫌いで財界活動も断り続けてきた。

余暇には江戸浄瑠璃常磐津」の稽古にも熱心に励むなど、粋な文化人でもあった。



ジェントルマンとは、彼のような男のことを言う。



お気楽人生のチョイ悪オヤジとはちょっと違う、否、まったく違う。

チョイ悪オヤジはこういういい本とめぐり会っていない、のかもしれない。