遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

南国土佐を後にして・学生時代/ペギー葉山


先日、ペギー葉山さんが亡くなられた。

私が人生で最初に口ずさんだ歌謡曲は、おそらくペギー葉山の「南国土佐を後にして」だったと思う。この歌の発売は1959年だった。

歌の中には高知民謡の「よさこい節」が挿入されていて、それも印象的だった。

「はりまやばし」「かつらはま」「むろと」などの地名も幼いころに脳裏に焼き付いた。

坊さんがかんざしを買うのが子ども心に不思議だったが、大人になって分かることもいろいろある。高知に初めて行ったのは20代後半だったので、愛唱歌「南国土佐を後にして」から20年が経っていた。

「国の父さん室戸の沖で~くじら釣ったという便り~私も負けずに励んだ後で~うたうよ土佐のよさこい節を~」のフレーズが好きで、郷愁を感じてじーんと来る歌詞である。


小学生の頃は、ペギー葉山の歌った「ドレミの歌」が愛唱歌だった。彼女の日本語訳しも見事だった。
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これまた大人になってから「サウンド・オブ・ミュージック」を映画館で見て、とてもとても感動した。ペギーさんの歌った「ひとりぼっちの羊飼い」も、映画の挿入歌だったことをその時発見。わが娘たちは、この映画のVTRを何十回も見て大きくなった。


中学生の頃には、ペギー葉山の「学生時代」にこれまた憧れた。歌詞を必死に憶えて、すべてそらで歌えた。今でも歌える私の愛唱歌である。

学校にチャペル? 田舎の中学生には夢のような学生生活だった。後年、青山通りで青学前を歩いたときに、こんなところに大学が、と驚いたことを思い出す。


そして高校生の頃、深夜放送でよく流れていたのが「雲よ風よ空よ」。

いまあらためて聴いてみると、ペギーさんの美声にうっとりする。彼女の昔の歌声をよく覚えてなかったこともあるが、この曲のような滑らかな歌唱を聞いて、素晴らしい歌手だったと再認識した。

謹んでご冥福をお祈りする。 合掌