遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

12年目の神戸

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小学校入学、東京オリンピック、高校入学、大阪万博、大学進学、

就職、転勤、結婚、阪神大震災、というのが私の人生の大きなターニングポイント。


その、阪神大震災から今日で12年。


震源地からはいくらか離れた地域で暮らしていた我が家も、

当日はものすごい揺れであった。

「ものすごい」とはああいうことを指すのだろう、あれ以上のものすごさを感じたことはない。


私は目が覚めてからもしばらくは動けなかった。

火が出ていないか台所を見に行った女房の代わりに、

子供たちを抱きかかえたとき、長女だったか次女だったかの

心臓の鼓動が私の手に感じられた。

あのパルスの速さは、一生忘れない。


何日かあと、TVでは公共広告機構の、あのCMが流れた。


画面は、焼け跡に奇跡的に残った水道の蛇口と

「水、自由に使ってください。そのままでは飲めません。」

という貼り紙が、終始映っているだけ。


そして、その水道管の所有者なのだろう、

おじさんが道行く人に語りかける、関西弁の少し甲高い声と言葉に感動する。


「水、出てるよお。水、持ってって」。



この「水、出てるよお。水、持ってって。」というフレーズは、

一生忘れない。

あのCMは創作なのか、実際の取材なのかは知らないが、

そんなことはどちらでもいい、やさしくて目頭が熱くなるメッセージである。




がんばろう神戸」と袖口に縫いこんだユニフォームで、

その年も翌年も、イチローは阿修羅の如くヒットを量産し続けた。

仰木オリックスは、1995年にリーグ優勝、翌年には日本一に輝いた。

あの袖口の「がんばろう神戸」の熱いメッセージも一生忘れない。



私は、震災後ちょうど10年目の1月17日に、

どうしても行きたくて神戸に出かけていた。

その日に長く神戸にいたかったのでそうしただけだった。



ようやく被災地も復興したような、そんな12年目である、合掌。