遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

綿矢りさの「パッキパキ北京」で精神勝利法を学びました

パッキパキ北京   綿矢りさ  集英社

コロナ禍の北京で単身赴任中の夫から、一緒に暮らそうと乞われた菖蒲(アヤメ)。愛犬ペイペイを携えしぶしぶ中国に渡るが、「人生エンジョイ勢」を極める菖蒲、タダじゃ絶対に転ばない。過酷な隔離期間も難なくクリアし、現地の高級料理から超絶ローカルフードまで食べまくり、極寒のなか新春お祭り騒ぎ「春節」を堪能する。街のカオスすぎる交通事情の把握や、北京っ子たちの生態調査も欠かさない。これぞ、貪欲駐妻ライフ!
北京を誰よりもフラットに「視察」する菖蒲がたどり着く境地とは……?

綿矢りさ初読みでした。小説「パッキパキ北京」で、あらすじは上の通り。

「パッキパキ」というオノマトペは、厳寒の北京の河が凍っているさまをあらわす表現以外に出てこなかったのですが、何か他のことを表しているのかもしれません。とにかく、春節前の北京は寒そうなのに、本場のコロナや地元っ子に負けず劣らず主人公のアヤメ姉さんはたくましく北京を楽しみます。

なんかむなしい。ってのをわたしは経験したことが無くて、それは私が苦労してないとかじゃなく、楽しみを見つけるのが上手いからだ。」という一文から始まる本作。

私にとってはこの一発目の掴みが僥倖というべき出会いであり、本作全体との幸せな出会いでもありました。

著者の分身の一部であろう主人公ほど私はパキパキ(キレッキレ)してはいないが、主人公の夫のように適応力や順応性が乏しくもないと思っているので、難しい回路を絶って楽しみに浸ることができます。それは必ずしも出来の良い人間の特徴ではないのですが、楽しく生きるすべを持っていることだと思っています。

本書後半で、アヤメはパッキパキな独白を繰り広げますが、それは日本に残してきた不特定多数の悩める若者たちに向けて囁いているようにも感じられました。

魯迅の「阿Q正伝」の主人公阿Qが繰り広げたバカげた「精神勝利法」は、いまとなっては図太く生き抜くいい方法なんじゃないかとアヤメはつぶやきます。

つまりボコボコにされたにもかかわらず「きょうはこれくらいにしといたるわ」とうそぶく池乃めだかを心の中に飼っておくのもいい方法じゃないかというのです。

阿Q正伝」を読んでいない私は、この小説を読了後Youtubeで「阿Q正伝」と精神勝利法の解説動画で付け焼刃の理論武装しました。

そしてアヤメは、この世の鬼や変態やバカが持つ偏見は絶対なくならないから、「回線切って風呂入って生きろ」と教えてくれます。

小賢しくて息苦しくなるより、馬鹿の振りして楽しく生きるのが幸せに一番近道だと、アヤメ姉さんは哲学者のように語りかけてくれるのでありました。◎