遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

溢れる少女たちの自由で奔放で崇高な精神「同志少女よ、敵を撃て」

同志少女よ、敵を撃て  逢坂 冬馬  (著) 早川書房

第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞や2022年本屋大賞1位作品となった「同志少女よ、敵を撃て」のご紹介。

第二次世界大戦で、ナチ・ドイツに最後の鉄槌を下したのがソビエトだったが、ソ連赤軍には女性兵士が参戦していた。

主人公の少女セラフィマは、モスクワ近郊の村で害獣の駆除などを担う銃の名手だったが、侵攻してきたドイツ軍に村を襲撃され、村でただ一人の生き残りとなってしまった。

復讐を誓った彼女は、女性狙撃兵として特殊訓練を受けた後、狙撃手としてスターリングラードに派遣されることになる。

彼女の所属は一緒に訓練を受けた女性狙撃兵ばかりの数名の小隊で、激戦地スターリングラードや敵地ドイツのケーニヒスベルクで任務を遂行する。読者も当然にその小隊に属することになるが、私たちの頭や頬を敵の銃弾がかすめることもなく、安全な状態で彼女たちの戦いに参加することになる。

狙撃兵は、時には800m以上も離れた敵を確実に仕留める技術が求められるが、敵軍にも同じ技量を持った狙撃手がいるので、お互いがまっさきに敵の標的になる存在でもある。

先に銃弾を発射すれば、その存在位置を敵に察知されることになり、間髪を入れずにその硝煙が立った箇所にピンポイントで銃弾を撃ち込まれることになる。気配を消してつばぜり合いのように間合いを計って数百メートルを隔ててドイツの狙撃兵と技量を競う緊迫した場面は、実に読み応えがある。

またある時は、どしゃ降りの雨のように撃ち込まれる砲弾をかいくぐり(熟練兵は当たる砲弾の音と外れる砲弾の音が瞬時に聞き分けられる)、水平に撃ち込まれる機銃掃射を避けて塹壕に身を伏せながらその射撃兵を一発で仕留めたり、彼女たちは戦地を縦横無尽に駆け巡り、静と動の特殊任務を遂行し続けることになる。

本作は、架空の女性小隊の戦いを描いてはいるが、実際にこのような地獄のような戦闘があったことは容易に想像できるし、戦場で309人を狙撃した実在の元女性スナイパーリュドミラ・パヴリチェンコ(1916 - 1974)も登場する。

本作の小隊の女性たちは、ロシアやウクライナカザフスタンの出身者で、ソビエトが1枚岩ではなかったことも示されていて、「くたばれナチ・ドイツ」と「くたばれソビエト・ロシア」に加えて、「くたばれ両軍の男たち」「くたばれ戦争」という思いが同列に彼女たちの心の中に存在している。

サイボーグのようにすごい女性戦士は、極限状態で非常にクールに任務遂行できるのだが、時に呪いの言葉を吐いたり毒づいたり慟哭することがある。そういった場面に遭遇するたび、読み手の心が揺さぶられ頁の字が滲んで見える。

本書が出版されたのが2021年11月で、プーチン・ロシアがウクライナに侵攻したのが2022年2月だったが、それは偶然のことであり、血で血を洗った独ソ戦先の大戦はいったい何だったのか、本書にその分かりやすい答えが棲息している気がする。

主人公たちを女性にして戦場に彼女たちを放ち、彼女たちの行動や言葉をして戦争の無残さやくだらなさを縦横無尽に表象させたことが、本作の最も称えられるところだと思う。

巻末の参考文献を頼れば、技術的・科学的な事実は明確だし、戦史やそれを取り巻くおおよその戦闘場面や事実関係は浮かび上がって来るだろうが、本書に溢れる同志少女たちの自由で奔放で崇高な精神を創り上げた著者の創造力が素晴らしいのだった。

究極の反戦小説がここにある。

 

【「同志少女よ、敵を撃て」参考文献】
1 総力戦と女性兵士 佐々木陽子 青弓社 1,760
2 戦場の性 独ソ戦下のドイツ兵と女性たち レギーナ・ミュールホイザー 岩波書店 5,364
3 戦争は女の顔をしていない スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 岩波文庫 1,540
4 ボタン穴から見た戦争 白ロシアの子供達の証言 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 岩波文庫 1,276
5 イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45 キャサリン・メリデール 白水社 7,370
6 戦うソヴェト・ロシア(上・下) アレグザンダー・ワース みすず書房 古書
7 ベルリン陥落 1945 アントニー・ビーヴァー 白水社 8,848
8 スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943 アントニー・ビーヴァー 朝日文庫 1,100
9 クルスクの戦い 1943-第二次世界大戦最大の会戦 ローマン・テッペル 中央公論新社 3,960
10 独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 大木 毅 岩波新書 946
11 [新版]独ソ戦ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 山崎雅弘 朝日文庫 946
12 詳解 独ソ戦全史―最新資料が明かす「史上最大の地上戦」の実像 デビッド・M. グランツ, ジョナサン・M. ハウス 学研プラス 4,900
13 死闘ケーニヒスベルク―東プロイセンの古都を壊滅させた欧州戦最後の凄惨な包囲戦 マクシム ・コロミーエツ 大日本絵画 2,750
14 独ソ戦 この知られざる戦い ハリソン・E.ソールズベリー 早川書房 古書
15 ジューコフ元帥回想録―革命・大戦・平和 ゲオルギー・ジューコフ 朝日新聞出版 古書
16 スターリンの将軍 ジューコフ ジェフリー ロバーツ 白水社 3,960
17 ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙 マリー・ムーティエ 河出書房新社 7,380
18 灰緑色の戦史 ドイツ国防軍の興亡 大木 毅 作品社 3,080
19 ドイツ第三帝国ソ連占領政策と民衆〈1941‐1942〉 永岑 三千輝 同文舘出版 7,000
20 独ソ戦ホロコースト 永岑 三千輝 日本経済評論社 古書
21 ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い リチャード・ベッセル 中公新書 1,056
22 兵士というもの ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理 ゼンケ・ナイツェル, ハラルト・ヴェルツァー みすず書房 6,380
23 ヒトラーの脱走兵-裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー 對馬 達雄 中公新書 968
24 わが回想〈第5部〉―人間・歳月・生活 イリヤ・エレンブルグ 朝日新聞出版 古書
25 フォト・ドキュメント女性狙撃手: ソ連最強のスナイパーたちユーリ オブラズツォフ, モード アンダーズ 原書房 2,640
26 ソ連史 松戸 清裕 ちくま新書 924
27 ミリタリー・スナイパー―見えざる敵の恐怖 マーティン ペグラー 大日本絵画 6,270
28 狙撃の科学 標的を正確に撃ち抜く技術に迫る かの よしのり SBクリエイティブ 1,047
29 最強の狙撃手 アルブレヒト・ヴァッカー 原書房 古書
30 戦場の狙撃手 マイク・ハスキュー 原書房 2,200
31 狙撃手(スナイパー) ピーター・ブルックスミス 原書房 古書
32 狙撃手列伝 チャールズ・ストロング 原書房 2,200
33 最強の女性狙撃手 レーニン勲章の称号を授与されたリュドミラの回想 リュドミラ・パヴリチェンコ 原書房 2,640