遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

バスキアの絵のようにカラフルな「みどりいせき」(大田ステファニー歓人著)を読みました

みどりいせき  大田ステファニー歓人     集英社

第47回(2023年度)「すばる文学賞」(選考委員 奥泉光金原ひとみ川上未映子岸本佐知子堀江敏幸
第37回(2024年度)「三島由紀夫賞」(選考委員 川上未映子高橋源一郎多和田葉子中村文則松家仁之
上記文学賞をW受賞した大田ステファニー歓人(かんと)「みどりいせき」を読みました。
今回の「芥川賞」にはノミネートされませんでしたが、大田は華々しいデビューとなりました。

読み始めてすぐに、意味不明の単語や言い回しがほとんどをしめるイケナイ高校生男女の会話についていけなくて、これは70歳の爺が読む類の小説ではなかったかと感じました。しかし、めげずに読了して、まるでバスキアの絵のような感じのファンキーでカラフルで反抗的な若者たちに共感できました。良い作品と出会えました。

 

春という名の女子高生と小学生の時に野球バッテリーを組んでいたキャッチャーだった僕は、偶然にも春の属する危険なグループの一員になってしまいます。

そのあぶない少年少女たちの10人足らずのグループは何かあやしいものの販売取引をしていますが、仲間意識が強くて「いじめ」は存在しないし、ヤクザのシノギのようなイケナイ仕事の決めごと以外は、自由で独立した個人で成り立っています。

語り手である僕のような孤独な部外者からみれば、そんなカオスなグループが、自分の居所かもしれないと感じるようになっていきます。

高2の僕より1歳年下の春は、相変わらず長身で運動神経が良くて、マウンド上の投手のようにシノギに全力を注げる「できる存在」でありつつ、そういう自意識を持っていないと感じさせるカッコいい透明な「不良」少女に成長していていたのでした。

彼らのシノギが、この世のものとは思えないし、本文の文体は脈絡が不思議な雰囲気でフワフワしますが、ことばの選択や組み立て方が巧みです。

部分的に、咳が「せき」になったと偶然気付けた後の展開ににんまりしたりできたりもします。(「アルジャーノンに花束を」でよく似た体験済み。)

スラングだらけの会話の中に、1万年以上もほぼ進化しなかった縄文人の話が挿入されていたりもして、縄文「遺跡」が本書のタイトルの「いせき」のことかと思ったりもします。

 

意味が分からなくてスマホで調べたのは冒頭に出てくるスケボーのメーカーである「ペニー」だけで、後は意味不明でも感性で読み切りました。

前後の文脈で、だいたい意味は分かるし、たとえば「ストシンが見られない」みたいなくだりでは、いったんスルーして、ストシンとは「ストレンジャー・シングス」だなと5秒遅れくらいで気付くこともあったりで、ちょっとした「旅気分」の読書でした。

旅気分といえば、登場人物たちは正気というより全編「旅気分」な感じで、ページから煙がもうもうと立ち上がってきます。(小説で良かった。)

読了後に「みどりいせき」の意味するところを調べましたが、正鵠を射ているのか判然としないものの、なるほどなるほどそれに間違いないと納得できる節にすぐ当たることができました。

あの優等生「成瀬あかり」と対極にいる本作の「春」。白と黒のような二人ですが、二人ともに人生を達観しているようで、ある種の真面目さが几帳面でいて凛々しくてとても愛おしいのでした。