遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

三たびの海峡/帚木蓬生

イメージ 1

三たびの海峡 帚木 蓬生 (新潮文庫)


1975年頃だったと思う、

奈良から京都へ向かう近鉄電車のなかで、学生の私は2人の男と出会った。

彼らは明らかに逃亡中の身であった。

京都近郊の駅から、私がいた車両に乗り込んできた彼らは、

ドアにもたれて立つ私の目の前で、所持金の確認や逃亡ルートを相談していた。

彼らの追っ手は「あいつら」としかわからなかったが、

彼らは、どこかの工事現場のタコ部屋から逃げてきたような風体であった。

結局、京都駅まで乗った彼らは、人ごみの中に姿を消した。


明らかに私は追っ手ではない風体だったので、

無防備なままの彼らの逃亡計画が、私の耳に入ってきたのであった。

当時の私には、ドラマを見ているような光景であったが、

何だか恐ろしいことを見てしまっていた。


日本は、すでに先進国の仲間入りを果たし、まだまだ高度成長時期の真っ只中、

わが国の片隅では、営々と戦前からの悪しき強制労働が行われていた、

その片鱗を見てしまったのだった。


蟹工船のような世界が、時を変えところを変え、

そして、わが国の貧しい労働者のみならず、

朝鮮半島の若者たちを強制連行し、炭鉱や工事現場などで牛馬の如く酷使した。

そのような悲しい歴史が、いまもかの海峡に横たわっている。



【内容】

「一度目」は戦時下の強制連行だった。朝鮮から九州の炭鉱に送られた私は、

口では言えぬ暴力と辱めを受け続けた。

「二度目」は愛する日本女性との祖国への旅。地獄を後にした二人はささやかな幸福を

噛みしめたのだが…。

戦後半世紀を経た今、私は「三度目の海峡」を越えねばならなかった。

“海峡”を渡り、強く成長する男の姿と、日韓史の深部を誠実に重ねて描く山本賞作家の本格長編。




源氏物語の帖の名から引用したペンネームの、

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)は、

東京大学仏文科を卒業し、TBSに入社するも、2年で退社して福岡に帰り、

そこから九州大学医学部に入りなおし、現在は作家と精神科医の二足の草鞋を履く。


この作家は、地元の福岡の炭鉱へ連行されてきた朝鮮人たちの暮らしを、

主人公の朝鮮の若者の一人称での語りで著し、

綿密な取材を背景に、一気に書き上げた感じのする、躍動感あふれる物語である。


韓国で成功をおさめ、なに不自由なく暮らす事業家の主人公は、

四十数年間もの間、日本に関しては思考停止状態であったにもかかわらず、

日本から届いたある手紙に、海峡をわたらなければならない使命を自分に課した。


物語はそこから、病身の父親の身代わりになって、

十七歳の時に日本に渡ってきた時代にワープし、

九州の炭鉱での強制労働を軸に、主人公の壮絶な半世紀の物語が始まる。


私は、小学校時代にの社会化の教科書で見た、

九州の炭鉱町のボタ山に、なぜかとても惹かれていた。

登れそうな高さと、美しい姿かたちにあこがれていたのかもしれない。

この作品では、要所でこのボタ山が頻繁に登場する、

こんなに悲しい山の歴史を、この作品を読むまで想像できなかった。

とても、恥ずかしいことであった。


「三たびの海峡は」、第14回(1993年)吉川英治文学新人賞を、

高村薫北村薫らの作品を退けて受賞している。