奈良から京都へ向かう近鉄電車のなかで、学生の私は2人の男と出会った。
彼らは明らかに逃亡中の身であった。
京都近郊の駅から、私がいた車両に乗り込んできた彼らは、
ドアにもたれて立つ私の目の前で、所持金の確認や逃亡ルートを相談していた。
彼らの追っ手は「あいつら」としかわからなかったが、
彼らは、どこかの工事現場のタコ部屋から逃げてきたような風体であった。
結局、京都駅まで乗った彼らは、人ごみの中に姿を消した。
明らかに私は追っ手ではない風体だったので、
無防備なままの彼らの逃亡計画が、私の耳に入ってきたのであった。
当時の私には、ドラマを見ているような光景であったが、
何だか恐ろしいことを見てしまっていた。
日本は、すでに先進国の仲間入りを果たし、まだまだ高度成長時期の真っ只中、
わが国の片隅では、営々と戦前からの悪しき強制労働が行われていた、
その片鱗を見てしまったのだった。
蟹工船のような世界が、時を変えところを変え、
そして、わが国の貧しい労働者のみならず、
朝鮮半島の若者たちを強制連行し、炭鉱や工事現場などで牛馬の如く酷使した。
そのような悲しい歴史が、いまもかの海峡に横たわっている。
【内容】 「一度目」は戦時下の強制連行だった。朝鮮から九州の炭鉱に送られた私は、 口では言えぬ暴力と辱めを受け続けた。 「二度目」は愛する日本女性との祖国への旅。地獄を後にした二人はささやかな幸福を 噛みしめたのだが…。 戦後半世紀を経た今、私は「三度目の海峡」を越えねばならなかった。 “海峡”を渡り、強く成長する男の姿と、日韓史の深部を誠実に重ねて描く山本賞作家の本格長編。
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)は、
東京大学仏文科を卒業し、TBSに入社するも、2年で退社して福岡に帰り、
この作家は、地元の福岡の炭鉱へ連行されてきた朝鮮人たちの暮らしを、
主人公の朝鮮の若者の一人称での語りで著し、
綿密な取材を背景に、一気に書き上げた感じのする、躍動感あふれる物語である。
韓国で成功をおさめ、なに不自由なく暮らす事業家の主人公は、
四十数年間もの間、日本に関しては思考停止状態であったにもかかわらず、
日本から届いたある手紙に、海峡をわたらなければならない使命を自分に課した。
物語はそこから、病身の父親の身代わりになって、
十七歳の時に日本に渡ってきた時代にワープし、
九州の炭鉱での強制労働を軸に、主人公の壮絶な半世紀の物語が始まる。
私は、小学校時代にの社会化の教科書で見た、
九州の炭鉱町のボタ山に、なぜかとても惹かれていた。
登れそうな高さと、美しい姿かたちにあこがれていたのかもしれない。
この作品では、要所でこのボタ山が頻繁に登場する、
こんなに悲しい山の歴史を、この作品を読むまで想像できなかった。
とても、恥ずかしいことであった。
「三たびの海峡は」、第14回(1993年)吉川英治文学新人賞を、