遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

女たちよ!/伊丹十三

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「女たちよ!」
著者: 伊丹十三
新潮文庫(新潮社)
価格:500円


夏目漱石は、松山中学で英語教師をしていた。その時代のことが「坊ちゃん」のモチーフになった。

松山中学はその後、新制高校の発足で松山東高校と名を改めた。


太平洋戦争末期に京都で、湯川秀樹博士によって構想された、

科学者養成のためのエリート集団、特別科学学級なるものが存在した。


その特別科学学級出身の、美しい少年が、京都から松山東高校へ転入してきた。

その美しい少年というのが、映画監督伊丹万作の子、伊丹十三であった。



「お母さんが特注されたネービー・ブルーのラシャの半外套を着たかれは

――もとより高校でそれが許可されていたはずはありません――

なんとも美しい少年でした。

かれは翻訳されたばかりのカフカの『審判』について確実な意見を持っており、

ランボーの詩集をガリマール版で読み、

そしてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を深く楽しんでいる、

という若者でした。

さらには体育の教師に目の敵にされても、決してくじけない男でもあるのでした。」

『ゆるやかな絆』(講談社)より



きざで美しくて、「校則などものかは」という態度の伊丹は、体育教師に目の敵にされたのであろう。


しかし、その彼を『ゆるやかな絆』という著書で「美しい少年」と詠んだのが、

当時、愛媛の片田舎の高校から松山東高校へ転入してきたもう一人の秀才で、

後に伊丹の妹ゆかりと結婚することになる、

大江健三郎、そのひとであった。


当時の大江から見た伊丹は、眩しい少年だったのであろう、

その後の大江に、少なからず影響を与えたに違いない存在だったであろう。



私は10代の最も後半のころ、伊丹の「女たちよ!」を読んだ。


田舎ものの私は、都会の大人は、こんな生活をし、こんなことを考えているのだ、

とこのエッセイを読んで思ったものだ。



「シンプルなセーター」「暖気運転」「カマンベールチーズの薀蓄」、

「日本人の体型の劣等感」「襟足の短い外国人」「パイプ煙草用のマッチ」等々、

いまだにキーワードが心に残る一冊である。

(記憶を頼りに書いているので、「再び女たちよ!」との混同もあるかもしれない。)



「アルデンテに茹でたスパゲティ」「キューカンバー・サンドイッチ」

「ジャガイモ入りオムレツ」などは、実際に作って食べた。

特にスパゲティは、この本の影響で、私は茹で方にうるさい男になった。

ごく稀にではあるが、厨房に入る男にもなった。