遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

医者とケンカ別れ

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救急で運ばれた父親の担当医と、ドンパチやらかしてしまいました。

病院のベッドで投薬を受けている父親は、目を開けないので心配になりどういう状況なのか、どういった薬を投与されているのか、再び目を開けることはあるのか、訊きたいので面談を希望し朝から担当医と話しをしました。

担当医は、自分は50年も医師をしている、患者や患者の家族からあなたのようなあまり質問は受けたことはない、普通は医師に任せて素人はそれに委ねるのが普通だ、という論調で終始しました。
私は、不安を軽減するために家族が質問するのは自然で、その不安に答えるのも医師の役目ではないかといった論調に終始しました。

両者の考えは交わることはなかったので、それならということで、こちらも願っていたの自宅近くの総合病院に転院をしました。ここに父親の本来のかかりつけの医師がいます。

実はケンカ別れした父親の担当医は、娘が高3の時に罹った急病で、結局治療が思うようにいかず、大阪大学病院へ救急車で転院するようなことになった医師でありました。「このままでは死ぬ、死ぬ」と私たちの前で不安をかき立てた医師でした。医師としてあるまじき発言に、そのときは烈火のごとく怒っていた私ですが、娘の処置のこともあり怒りを治めて、転院した大学病院の処置に娘の命運をかけました。大学病院の医師は、「大丈夫ですよ」と私たちを心底安心させ娘の病気を治してくれました。

娘の時の一件もあり、今回も質問をしているだけなのに、私を「クレーマー」だと面と向かって言うので、ひるまずに、できる限り静かに、しっかり質問をしました。どこぞの町議会のように一般質問なしよという図式は医学には当てはまりません。

父親は、脳梗塞で千里の国立循環器センターに救急車で運ばれたことがありますが、担当の女先生は、自分のスタッフと私たち家族の前で、治療プランを実に分かりやすく説明してくれました。私たちに判断を求める場面もありました。
私は、当事者だったのに第三者のような気分でその女先生をかっこいいと思いました。

今回のような医師にかかると、インフォームド・コンセント以前の問題で、50年も医師をやっていることが自慢なのだろうが、もう引退願いたいと思うばかりであります。