遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

合否のボーダーライン上のマイノリティ



イメージ 1


昨年末に亡くなった父親。夜に死亡診断をしてくれたのが、当日宿直の女医だった。その女医の名前は、漢字一文字の朝鮮姓だった。

その頃の私は、女子(や2浪以上)が医学部入試で差別されていることを知らなかった。

東京医科大学で不祥事が顕在化されてから、女子などの合格者の入試差別は多くの大学医学部でかねてから行われてきたことが、平然とニュースで伝えられている。

上の合否判定基準のイメージ図では、一次試験も二次試験も点数が低いゾーンは、男子しか合格しない基準となっている。

女子は、合格と不合格のボーダーライン上にいたら圧倒的に不利な立場である。

私学なら、入試で学生をどう選別しようと自由なんだろうか。自前の大学病院勤務医のことを考慮すると、男性医師が多い方が何かと運営しやすいので男子を多く合格させることもありなのかもしれない。

私は、仕事が丁寧で患者思いの女性が多い方が良い病院になると思っているが、どうしても女医を増やしたくなければ、受験する女子に「女子は合否判定が不利ですよ」と明確な基準とその理由を明確に伝えるべきだと思う。あるいは、男女別のおおよその定員を知らせるべき。

私の父の最期を見てくれた女医は朝鮮姓だったと先に書いたが、彼女は朝鮮姓で大学入試で不利はなかったのだろうかと今になって思った。(優秀なんだろうけど。)

入試だけでなく、世の中のいろんな意味での「合否」のボーダーライン上にいる、女、朝鮮姓、外国姓、ハーフ、LGBT、反体制派、障がい者等々が排除されている仕組みになっていないか?ということもよく思うようになった。

もっと言えば、弱者やマイノリティと格付けされた時点ですでに、その人たちはボーダーライン上に位置づけされているのかもしれないなと感ずる今日この頃である。