遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

福沢諭吉は通り過ぎ、渋沢栄一はやって来ず

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私が生まれたころはまだ一万円札(昭和33・1958年発行)と五千円札(昭和32・1957年発行)がなかったのだが、物心ついてからは聖徳太子の一万円札が出回り始めたころ。

そして、40年ほど前の初任給は封入された現金で聖徳太子を何枚かもらった。

1984年に福沢諭吉の万札に変わって、早や35年。瞬く間に35年は過ぎ去って行った。そして、「福沢諭吉」は私のもとに留まることなく、素通りしてどこかへ出て行ったまま帰ってこない。

2024年から登場する新しい万札の肖像は渋沢栄一らしいが、ほとんど手にすることのないお札だから私には関係ない。

その理由は、多くの収入がないし、ほとんどクレジット決済だし、日常で使うお札は千円札が主流だから。

現金はあまり持ち歩くことがないし、1万円くらいをATMで引き出しても、すべて千円札で引き出すので、いまでも一万円札を見る機会は少ない。

なので、肖像が渋沢であろうが松井一郎であろうが麻生太郎であろうが安倍晋三であろうが、私には関係ない。

五千円札も同じだが、私の知り合いで長生きしている女先生がいて、彼女は旧帝国大学に合格したにもかかわらず、津田塾大学に進んだお方だそうで、あと5年長生きすれば「津田梅子先生のお札と対面できる」と喜んでおられるだろう。

北里柴三郎の肖像と裏面の葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の新千円札は、愛着のあるお札になりそうだ。

海外からの観光客にも、北斎のもっとも有名な「神奈川沖浪裏」の図柄は喜ばれると思う。

ネットでは、新紙幣の額面を表す数字のフォントが大きくてダサいと悪評のようだが、私もその意見に賛成だ。のっぺらぼうのように違和感がある。