遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

福生病院は日本の縮図かもしれない

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福生病院(上記画像)では、腎臓病の患者に人工透析患を中止した結果、当該患者(40代の女性)が死亡していたことが判明した。同病院では、ほかにも同様のケースで20人の患者が死亡していたこともわっかた。

ことの詳細はまだこれから調査が進むとみられるが、医師が患者に透析をやめる選択肢を示唆し、患者が「力尽きたように」透析中止を選ぶケースが相次いだようだ。

今朝のモーニングショーに出演していた人工透析の専門医は、このようなケースは考えられないので驚いていると話していた。

亡くなった女性患者はまだ40代で、今後の医療技術の進歩でもっと楽な治療を続けられた可能性もあったのに、ご家族の気持ちを察すると心が痛くなるニュースだった。

患者をモノ扱いする医師、子どもを虐待する親、クラスメートをいじめる生徒、まっすぐ走る車を煽るドライバー、客に不潔な商品を提供する店員、社員を死ぬほど働かせる企業トップ、被告を非人道的に長期間拘束する司法、国民のことをないがしろにする政権政府などなどどれもよく似た構造である。

どこの国も似たような歴史を持つが、よそ様は良化や進化もしているのに、我が国は劣化し退化する一方ではないだろうか。

戦後しばらく、国内の殺人事件や暴力の件数は今よりはるかに多くを数えていた。交通事故の死亡者も、同じく。量的には戦後から高度成長期時代の方が、いまより悲惨な悲しい時代だったかもしれない。

しかし今の日本は、「ジャパン・アズ・ナンバー1」を通過してきた国なのだ。経済的に国民が押しなべてそこそこ豊かになって来て、精神的にも豊かで穏やかな暮らしのある幸福を手に入れようとしていたのに、いつのまにかぎすぎすした自分勝手な格差社会が訪れた。

この国だけのような気がするが、大群で海に向かって溺れ死ぬまで行進を続けるレミングのような民ばかりになってしまった。誰が愚かな悲しい民を助けようとしているのか、それを見届けるまでは死んでも死にきれない思いである。