「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを50年経っても覚えている。
このポスターを描いたのが、東大生の橋本治だった。テレビでポスターの作者として紹介された橋本は、どちらかというと人を食ったような表情で、黒いマントコートを着ていて、バンカラ風とは程遠い芸術家のような風情だった。
田舎の中学生としては、おしゃれなポスターと全共闘全盛時代の象徴的なコピーを東大生が描いたことに少しショックだった。
頭のいい若者が、反体制の世直しの側に居て、こんなポスターも描けるという才能に出くわして私としてはショックだった。まあ、今ならPCでもっと完成度の高いポスターを制作できるのだろうが、50年前の東大の学園祭のポスターとして田舎の中学生を脅かすには十分の完成度であった。
以来、橋本治の名前は私の中にインプットされ続けていた。
この1968年の駒場祭が11月23-24日で、それから2か月ほど後にあの東大安田講堂が警視庁機動隊により封鎖を解除された(2019年の1月18-19日)。私は、ちょうど訪れていた京都の叔父の家でその生中継を見ていた。
「男東大どこへ行く」という問いは、2か月後に安田講堂の封鎖解除で結果を見たことになるのかもしれなかった。
卒業後イラストレーターになった橋本治は、その後作家に転身した。私は彼の著書を一冊も読んでいないし、彼の発信も受け止めてはいなかったが、在学当時からブレないままで歩いている男東大の姿をぼんやりと眺めてはいた。
今日、ツイッターで私のフォロワーたちが彼の死を教えてくれたのを知り驚いた。享年70歳。
昨年暮れには長編小説「草薙の剣」で野間文芸賞を受賞していた。
授賞式には出席できなかったようだが「原稿用紙を前にすると幸福になる人間でした。目の前に原稿用紙が見えたら成り行きで一歩一歩、歩いていこうと思います。最後までいけるかどうかわかりませんが、あてどのない生き方が自分にはふさわしい。ちなみに次の小説のタイトルは『正義の旗』です。あ、言っちゃった」とメッセージを寄せていたという。
謹んでご冥福をお祈りする 合掌