遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

丁半博打のような政治をするな!

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かつて「しあわせ家族計画」というテレビ番組があった。司会は和田アキ子古舘伊知郎

番組が選んだ家庭の主人が宿題を与えられ、1週間後に宿題をスタジオで披露し、成功した場合300万円相当の商品を贈呈するという番組内容だった。

その「宿題」のなかに「ルーレット」があった。

カジノにあるあのルーレットを使い、3投のうち1投でもボールを「00(ダブルゼロ)」に入れることができれば成功とみなすという宿題だった。成功するお父さんもいて、思い通りの数字にボールを入れることができるんだと、お父さんたちのわずか1週間の頑張りを見て認識したのだった。

ということは、カジノのルーレットのディーラー(親:ボールを操る人)は、張られているチップの傾向を見て、数字をコントロールできるのである。

ボールが放たれて転がっている間にベット(チップを賭ける)することもできるが、時々「00(ダブルゼロ)」(=親:ディーラーの総取り)に入れることで、ディーラーがチップ総取りすることが恣意的にできるのである。だから、基本は、客は容易には勝てない。

別のTV番組で、カードマジックをするマジシャンが、タネ明しをしてくれたことがあった。

彼はカードの束を指の腹で触っただけで、その枚数が瞬時に何枚あるかが分かるのだという。そのことを習得するほど練習していないと、優れたカードマジックはできないのだ。

たとえばどこか任意にカードを差し込んでくださいとお客に頼んで、差し込まれたカードの位置は、上から何枚目で下から何枚目というのがカードを操っているマジシャンは瞬時に指の感触で分かっているのだ。あとはそのカードの位置情報を利用して、いろんなバリエーションのマジックにして、たとえば、そのカードを全体の一番下や上に移動させて、観客を驚かせるのである。

ということから推察できるのが、カジノのカードテーブルにいるディーラーは、お客に気づかれないようにカードを「いろいろと扱える」のだろうと思う。マジシャンと同じくらいカードをいろいろ操ることができると考えても考えすぎではない。事実、カジノでいくら負けても大丈夫な暇な富裕層は、カジノの代表的なカードゲームバカラで大金を巻き上げられるのである。

ジェイムズ・エルロイの小説「アメリカン・タブロイド」や「アメリカン・デス・トリップ」には、ラスベガスにかかわるマフィアやギャングなどが実名で登場してくるが、カジノはギャングに金を巻き上げられる場所だと認識できる。カジノの経営で失敗したドナルド・トランプなど、お莫迦で可愛いものである。

ということで、お国がわずかの時間の審議で、住民や旅行者の金を巻き上げるカジノを認める「IR法案」を通してしまうって、そんなならず者の国があるのでしょうか、あったのです、2018年の日本です。

観光立国の精神はどこに行った?おもてなしの精神はどこ行った?爆買いした外国人はバクチですったら二度と日本にやって来ないぞ。安倍晋三と維新の会は、博打の胴元に成り上がった。公明党は反対をしない罰当たりな輩に成り下がった。

覚せい剤や麻薬がその裏側にある「依存を利用した金儲け」という闇があるように、カジノも同じ闇が存在する。血の匂いが隠せない。そういうことを分かっているのか分かっていないのか、そのどちらにしろ由々しき問題である。

安倍政権は、丁半博打のような政治をするんじゃない!たわけ者!

胴元が外資なら国益にならないのじゃないか?百歩譲って、博打で儲けなければならないほど困ってるなら、無駄遣いをするな!税金返せ。

(2年前の記事を一部修正して再掲しました)