遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

大家さんと僕/矢部太郎

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大家さんと僕    矢部 太郎  (著)      新潮社

芸風も体格も、吹けば飛ぶような貧弱な芸人矢部太郎
その彼のベストセラーエッセイ「大家さんと僕」を読んだ。

本書は文字だけで書かれたエッセイかと思っていたら、全編マンガイラストで描かれたエッセイだった。税別1000円。

大家さんは、新宿区のどこかに一軒家を持つ87歳の女性。挨拶は「ごきげんよう」と上品で、三度の食事は自分で作り、食材の買い物はタクシーで伊勢丹へ出かける。

一階が彼女の自宅で、外階段で出入りする二階を矢部に貸している。

矢部は仕事があったりなかったりで、自室にいることが多くて、決まった時間に起きるでもなく食べたり食べなかったりでぐうたらな生活をしている売れない芸人。

この家の住人は、大家さんと矢部(39)だけの二人きりで、次第にお互いを意識しないではおられない関係になり、その交流の一部始終が1冊に納まっている。

貧弱な雰囲気の矢部の持つ全体的なムードが、年を召した独り暮らし女性との関係性においてほどよくマッチする。お喋りをしたりお茶を飲んだり食事をしたり伊勢丹に出かけたり旅行をしたりと、お互いの生活にメリハリがつき、そのゆったりとした暖かい交流が読者の心を潤す。

血族でもなく恋愛感情や欲得のない利害関係で、孫子ほど年齢の離れた男女だからこそ、一軒家でほど良い距離感で仲良く暮らせる。たとえば、二人の年齢が逆転していたり、二人が同性だったら、見事なバランスは崩れていたと思われる。

二人の関係性のバランスが申し分なく、二人の人間性がさらに申し分ない。どこをどう切り取っても、寂しい者同士だから成立する人間関係ではないことが、本書で確かめられる。それがベストセラーになっている所以だと思われる。

華のない矢部の今までの仕事の中で、本書を著したことがダントツで最も素晴らしい仕事だと言い切って間違いない。

この良書がきっかけで、今後、矢部自身の結婚も夢ではないと思わせるが、可能なら大家さんが逝かれてからにしてほしいものである。