遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ボタン/佐藤忠良

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佐藤忠良作 「ボタン」 1967-69年

これは佐藤の代表作の一つで、マントのボタンを留めようとする少女の一瞬をブロンズにとどめている。高さは127㎝で、像のモデルは佐藤の娘で女優の佐藤オリエだと言われている。


■カイシトモヤ‏ @room_composite
彫刻家の佐藤忠良さんが40年くらい前にまとめた、小学校1年生用の図工の教科書に書かれている文章。これほどにかんたんな表現で、人間が芸術活動をする意味を説明している文章があるだろうか。

その文章が下のもの。

このほんをよむひとへ

ずがこうさくの じかんは、
じょうずに えを かいたり
じょうずに ものを つくったり する
ことが、めあてでは ありません。

きみの めで みた ことや、
きみの あたまで かんがえた ことを、
きみの てで 
かいたり つくったり しなさい。

こころを こめて つくって いく あいだに 
しぜんが どんなに すばらしいか、
どんな ひとに なるのが 
たいせつか 
と いう ことが わかって くるでしょう。
これが めあてです。

「子どもの美術」より 1980年初版


佐藤忠良(1912-2011)は、先の大戦ソビエトにとらわれ、3年もの間シベリア抑留生活を余儀なくされた。

多くの日本軍捕虜とつらい抑留生活をするなかで、平凡に普通の生活をしている人と接して勇気づけられ、生きて日本へ帰ろうと思ったと語っている。

日本の軍隊の上層部やインテリなどがひけらかす知識や教養は、極限状態では何の役にも立たなかった。生活力を持つ平凡な普通の人のおかげで、シベリアの厳しい自然や過酷な労働に耐えることができ、自分は日本へ帰還できたと語っていた。

抑留生活から帰った忠良は、戦後の貧しいどこかの自治体のためにセメントなどで素朴な労働者の像を造ったりした。そのような社会貢献も、シベリアの影響からだという。また、「子どもの美術」で、小学1年生に美術との接し方を分かりやすく具体的に伝えているのも、それと無関係ではなかろうと思う。

1980年に著した「このほんをよむひとへ」では、小手先だけで上手な作品を作るより、好きなように心を込めて作品に向かいましょうと、教条的なものをやんわりと否定する。

小学1年生にわかるかどうかより、こういう教科書で多くの生徒に教えることが大切な作業だと思う。そして、作品を作らなくとも、鑑賞するだけの人間も、好きで心が解放されえる好きな作品を多く作ることが大切だということを改めて感じる、佐藤の紙にしたためられた素晴らしい遺産である。