遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

行人/夏目漱石

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行人(こうじん) 夏目漱石   (新潮文庫

夏目漱石の「行人」。
朝日新聞に「行人」の連載が開始されたのが1912年なので、105年前の小説であるが数十万年の人類の歴史の長さから推し測れば、105年くらいで人の心は変わるものではない。

十代で読んだ「こころ」からすでに約半世紀、「彼岸過迄」 「行人」「こころ」の三部作を、一生涯をかけて読了した。

「行人」には悩める悲しい主人公長野一郎と、一つ家に暮らすその家族、妻の直、弟の二郎、妹のお重、そして両親の精神風景が描かれている。

長野家と長野家を支えるお手伝いさんや、大阪に住む遠縁の元書生、それに、二郎の友人の三沢や、一郎の友人の”H”など、登場人物は漱石の創作した人物だが、実際のモデルがいたことは、漱石自身のエッセイにも明らかなようである。

とりわけ、一郎や二郎や三沢やHは、漱石の分身でもあると思われる。

この小説を書く数年前、漱石は大阪にいて胃潰瘍のために入院したり、また別の機会には、和歌山に講演に出かけ、台風のような嵐に遭遇している。
修善寺胃潰瘍の療養をした経験もある。また、松山中学や熊本の五高や東大で教鞭をとったことはつとに有名である。

余談であるが、大阪で胃潰瘍のため入院したのが、湯川胃腸病院。ノーベル賞物理学者湯川秀樹はこの病院の湯川家に婿入り養子として迎えられている。

漱石の職業体験や災害遭遇や入院体験や非日常な会食体験が、この作品にちりばめられている。

何よりも、悩める悲しい孤独な一郎は、漱石の分身ではなかろうかと想像される。妻の直とのつらい関係に沈み、弟の二郎と妻の関係を疑り、ガラスのような壊れやすい神経を持った、しかし、才能のかたまりのような知識人でもある。

一郎とは対照的に、弟妹の二郎と重、妻の直、長野家の当主夫婦(兄弟の両親)などは、実に自由人で、天心爛漫に描かれている。これも実は漱石の分身なのだろう。

二郎のたっての願いで、Hは一郎をつれて旅に出る。タイトルの旅人という意味の「行人」は、この旅から命名されているのか、あるいは人生を「旅」ととらえているのか。いずれにせよ、その旅先から二郎に所望されて、旅先の兄の様子がHから送られてくる。

最終章は、原稿用紙100枚にも及ぶ、Hの手紙で終始する。

そして、悩める一郎を観察し解析し問いかけをするHも、取りも直さず漱石自信なのである。

このHからの手紙は「こころ」の先生の手紙(200枚)とともにつとに有名なのだそうである。漱石胃潰瘍を煩いながら、一郎とHになりきって渾身の思いを、100枚に綴っている。後世に遺すことをはっきりと意識した、漱石哲学書、宗教書のようでもある。

私なら、山が動かないなら、幸福のために山のほうへ歩いていく。
漱石の作り出した女性たち、「草枕」の那美、「彼岸過迄」の千代子、この作品の直など、たおやかで自由で美しい自然な人が、私は好きである。
何を犠牲にしても、山が動くことを待つ神の様な人には到底及ばない。でもそれでいい。

以下、Hの手紙一部分。(二郎宛のため、一郎のことは「兄さん」とされている。)

 「何故山の方へ歩いて行かない」
 私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、附け足しました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。何故山の方へ歩いて行かない」
「もし向うが此方へ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。
「向うに義務があろうとあるまいと、此方に必要があれば此方で行くだけの事だ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のある筈がない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福の為に行くさ。必要のために行きたくないなら」と私が又堪えます。
 兄さんはこれで又黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別に於て、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。寧ろそれに振ら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんには能く呑み込めているのです。
「自分を生活の心棒と思わないで、綺麗に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私が又兄さんに云いました。
「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。
「神さ」と私が答えました。
「神とは何だ」と兄さんが又聞きました。