遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

【国宝展】松林図屏風/長谷川等伯

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京都国立博物館(京博)での「国宝展」、今回ご紹介は長谷川等伯(1539-1610)の「松林図屏風」(16世紀、東京国立博物館蔵)。

私は7年ぶり2回目の本作とのご対面である。本展覧会の作品とはもう何回も会うことはないと思う。まさに「芸術は長く人生は短し」である。

「松林図」は、ご覧の通り、六双の屏風のほとんどが空白のままである。何が見えるかは、あなた次第というわけか。なるほど、「霧のなかの静かな松林」や「雪の朝の松林海岸風景」に見えなくもない。

等伯は、能登(七尾生まれ)から京都へ入り、一匹狼として当時の画壇に噛み付いた。その噛み付き方がすごい。

ある日、大徳寺を訪ねた等伯は、住職に、襖絵を描かせて欲しいと頼みました。
大徳寺は、禅寺です。住職は、「修行の寺に襖絵は無用」とその頼みを断りました。
ところが等伯は、住職の留守を見計らって襖32枚に、一気呵成、水墨画を描いたのです。
それが、今も大徳寺に残る「山水図襖絵」です。

このエピソードは等伯のデビュー時のことで、筆一本で「頼もう」と道場破りなのである。
五三の桐文様の襖(ふすま)として大徳寺に鎮座ましますキャンバスに、つまり、桐花紋雲母(キリカモンキラ)刷りの唐紙の上に、頼まれもしない水墨画を描くのだから、すごいパワーである。犯罪も同然である。

これは、狩野軍団に挨拶なしで、千利休に近付きたいがためのパフォーマンスだったのである。この作戦はまんまと成功し、その後、智積院障壁画(国宝)を手がけることになる。

そういう激しい経験をして、こういう「松林図」が描けるようになるのである。未完成と言われようがなんだろうが、好きなように描く。

印象派」はフランスより早くここに生まれたような気がする。