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あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

コリーニ事件/フェルディナント・フォン・シーラッハ

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 コリーニ事件 フェルディナント・フォン・シーラッハ   
                    酒寄 進一 (翻訳) 東京創元社

ドイツの弁護士にして作家のフェルディナント・フォン・シーラッハの初の長編小説のご紹介。かつて拙ブログで「犯罪」というシーラッハが弁護士活動の中で遭遇した実話をもとに書き上げた優れた短編集をご紹介したことがあるが、本書はフィクションである。

フィクションではあるが本書「コリーニ事件」の出版がきっかけで、2012年ドイツ連邦法務省は「ナチの過去再検討委員会」を立ち上げたという。

弁護士になったばかりのライネンのところに国選弁護士の仕事の依頼があった。ライネンにとっては人生初の仕事であった。ところがあろうことか、件の殺人事件の被害者は、ライネンの親友の祖父にして著名な大実業家ハンス・マイヤーだった。

自分が弁護するはずの被告は、少年の頃から自分をかわいがってくれいつもチェスの相手をしてくれたハンスを殺害した犯人なのだ。その事実を知ったのは、親友の姉であり、ライネンの秘密の恋の相手でもあるハンナからの電話でだった。

殺人犯人、つまり被告は、イタリアからの移民で、ドイツの自動車工場で35年も働いているコリーニという大男で、彼はライネンの接見・事情聴取でも裁判での口頭尋問でも口を利かず動機も話さないまま終身刑の有罪になろうとしているのだった。

ライネンは、国選弁護士の職を全うすべく、せめて犯行に至った動機だけでも明らかにすべく、コリーニについて全身全霊をかけて彼の周辺を調査し、驚くべき真相を発見する。

30年以上前になるか、アメリカの弁護士出身の作家ジョン・グリシャムの小説に夢中になった時期があったが、シーラッハの小説を読んでいてそのことを思い出した。貧しくて若い弁護士が、セレブな弁護士に守られた上流階級の巨悪に挑むという構図がグリシャムのお得意ワザなのだが、本書も似たプロット。

ただしシーラッハは、回りくどい表現や曖昧な独りよがりのメタファーを排除して言葉を研ぎ澄まし、端正な文章に仕立て上げている。ストーリーも面白い。その読み心地は、事件の真相とは裏腹に実にさわやかで魅力的で楽しい。

本書は創作小説なのだが、物語に扱われるドイツの刑法のとある条文が、1969年、ひそかに改定されていたという史実に基づいている。その法律の条文は1985年に元の形に戻されたが、それだけにとどまらず、繰り返しになるが、2012年の本書の出版が政治を動かし「ナチの過去再検討委員会」が立ち上げられたという。
(ネタバレになるので、その刑法の条文などこの辺りの真相は詳しくは書かない。)

ちなみに、著者のフェルディナント・フォン・シーラッハは、ナチの幹部(ヒトラー・ユーゲント全国指導者)のバルドゥール・フォン・シーラッハを祖父に持つ。12歳時の小学校の歴史教科書で、シーラッハは自分の祖父が戦争犯罪人であると知った。そのことも付け加えておきたい。

政治を動かす小説は確かにすごいが、それを許容するドイツ国家国民が素晴らしいのだと思う今日この頃である。