遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

思考不能ということ/映画「ハンナ・アーレント」

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久々にきちんと見た映画「ハンナ・アーレント」のレビュー。本作は2013年秋に岩波ホールなどで公開され、話題を呼んだという。

ハンナ・アーレント(1906 - 1975)は、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者。彼女は、ナチスドイツからフランスに逃げ延びたが、フランスでユダヤキャンプで拘束された。しかし、難を逃れてアメリカに亡命した。

無知な私はハンナのことを知らなかったが、映画の中で彼女の来歴はおおよそ分かるように作られている。

時は流れ1960年、ハンナはニューヨークで大学教授の職にあった。当時、ナチスの逃亡者アイヒマン中佐がアルゼンチンで潜伏中にイスラエルの諜報部に捉えられ、秘密裏にイスラエルに連行された。

その後、イスラエルで行われるアイヒマンの裁判に際し、ハンナはニューヨーカー誌に裁判レポートの記事を書くことを条件に、イスラエルへの特派を要望する。

1961年に始まったイスラエルでの裁判のもようは、実際の裁判映像が本作に部分的にうまく取り入れられている。

東京裁判での大川周明は、自席の前に座る東條秀樹の頭をパチンと何回も叩いていたが、あれは芝居がかっていると私は思っているのだが、大川は精神が異常だとして死刑を免れた。本作のアイヒマンの実写映像を見て私は大川を想起したが、ハンナ・アーレントはそうは思わなかった。

裁判が終わり、ハンナのたばこの本数は増えたが、裁判レポートの筆は一向に進まなかった。レポートのテーマの方向性は決まっていたのだが、哲学者とユダヤ人のはざまでの葛藤が彼女の手を止めたのだった。

同胞を600万人も殺されたユダヤ人ということだけで、無条件にナチの残党を徹底的に批判しその罪を償わせることでいいのだろうか。アイヒマンごときの小役人に、心を奪われることは正しいのだろうか。

彼女はアイヒマンを、極悪非道な犯罪者というより、思考が不能な職務に忠実な単なる出世至上主義の小役人だとレポートした。この1963年にニューヨーカー誌に発表した「イエルサレムアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」は、大論争を巻き起こした。

2017年7月現在の、我が国日本の「思考不能な政権」を見るにつけ、考えさせらることの多い映画だった。

思考できない人間が為政者のトップとその周辺にいると捉えれば説明できることがたくさんあるし、政権が巻き起こす不思議でバカバカしい現象についても、納得できるのであった。

もう少し早くこの映画を見るべきだった。


【映画のデータ】
出演者 バルバラ・スコヴァ
日本公開 2013年10月26日
上映時間 114分
製作国 ドイツ、ルクセンブルク、フランス