遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「マウンティング」について

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「今日のことば」、第2回目は「マウンティング」です。

■マウンティング
多くの哺乳類の雄が交尾のときにとる、ほかのものに馬乗りになる行動。サルでは個体間の優位性を誇示するためにも行う。背乗り。
現代用語としては、「おまえは私より格下なんだよ」という格付けをすること。「マウンティング女子」などという言葉も世間では一般的なようである。もちろんマウンティング男子やマウンティングおっさんも、うじゃうじゃ存在しています。

これは、「マウンティングされている」と感じるところから不幸は始まります。他人は他人、自分は自分と割り切れないところから不幸は始まります。

個人に帰属する家柄、学歴、収入、肩書、持ち物、容姿などへの過剰反応からマウンティングという概念が発生します。

家柄、学歴、収入、肩書、持ち物、容姿などは単なる一面的な外見的なもので、それを誇示し自慢したいがために手に入れた人だけが、マウンティングポーズを取ります。あるいは、相手は自慢しているつもりはまったくないのに、自分は負け組か?と受け取る人がいます。受け取り側の、引け目を感じる精神性の問題の方が大きい気がします。

マウンティングされて嫌な思いをする感性は、正しい感性ですが、嫌な思いをするのはストレスが発生し身体によくありません。なので、偉そうな人間とは、闘うか、逃げるかのどちらかです。

私はバカで、そのバカが治らないのでどうしても闘ってしまいます。ただし、難しくて勇気が要りますが逃げることもします。

逃げるとは、マウンティング態勢の人間を無視する、考えないようにする、当たり障りのない接し方をする、嫌いにならない、気付かれないように遠ざかる、そういう人間も存在するという事実だけを認めるといったような方法です。これは難しいし負けたような気がして勇気が要りますが、人として生きる技術なのです。

この技術を習得しない限り、生涯マウンティングされたままなのです。享楽は金持ちだとか高い社会的地位ではなく、たとえば、文学やアートや音楽に親しむという自分の内なる部分にあることを忘れないことです。

ただし実害がある場合は、いじめやセクハラやパワハラや恐喝などの実害は、信頼できる人間(家族や恋人や弁護士など)の力を借りて闘わなければなりません。

結論、「逃げるは恥だが(生きていくには)役に立つ」というのが、マウンティングへの対処法であります。