小倉山の写真を撮って、回れ右をしたところにあるのが「落柿舎」です。
この界隈は20年ぶりぐらいに来ましたが、落柿舎は少しずつ手を入れられているのか、清楚ななたたずまいに磨きがかかったような気がしますが、気のせいでしょう。
松尾芭蕉(1644-1694)の弟子の向井去来(1651-1704)の住居跡がこの落柿舎ですが、百人一首が編まれてからずっと時代が遡った、元禄の頃に居を構えたということです。芭蕉も何度かここに立ち寄ったということです。庭の柿の木はまだ少し残っていて、青い空にきれいなコントラストでした。
西行(1118-1190)も、この近くに居を構えていて、彼の使っていたとされる井戸が残されています。その傍らには、苔むした歌碑が建てられていました。
牝鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな 西行
落柿舎から北へ少し歩みを進めると、二尊院に到達します。
いまでこそ、嵯峨野までは京都市内の中心地から、阪急電車や京福電車(嵐電;らんでん)やJR嵯峨野線で20分くらいで行けますが、定家や去来の頃は、道無き道を歩けいて2時間以上かかったと思われます。都から、少しだけ離れて隠遁生活するには願ってもないところです。その穏やかな空気が、いまだに漂っている山里です。