遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

夢見る新有権者240万人

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また「とと姉ちゃん」の1シーンのご紹介。時は太平洋戦争の直前。

「このご時世、笑える読みものを雑誌に載せるなんて不謹慎!」だとして、雑誌を出版している出版社の社長が、検閲に引っかかって警察に逮捕される。

熊本地震の時、お笑いを不謹慎だという批判や自主規制があったが、そのことを思い出した。私は「表現」は、受け取り側が選択すればいいことで、発信側が操作してはゆがんだ社会になると思っている。平時でも災害時でも、基本的には(例外もあろうが)いつも同じペースで発信すればよいと思う。選ばれないメディアは、やがて淘汰されるのだから、それでいいのだと思っている。

とと姉ちゃん」のエピソードに戻るが、結局検閲に引っかかった問題部分は、削除するなら発売しても良いという許可が出て、出版社の社員は当該雑誌の問題のある数ページを切り取って、その雑誌を再度書店に持ち込んで販売してもらう作業をするのだった。ご時世がら、読者に笑顔を瞬時でも取り戻してもらおうという出版社の企画は、お上に叩き潰されたのだった。

2016年、安倍政権下のマスメディアは、「とと姉ちゃん」の出版社のたとえで言うと、自社発行の雑誌のページを毎日切り取っているのと同じ行為を繰り返しているのである。圧政の政権に遠慮して忖度(そんたく)してビビって、政権を批判することを放棄しているのである。政権に批判的なメディアも、政権べったりのメディアもあるけれど、もともと骨のある政府に批判的なメディアほど、いま言わねばならないことを封印しているのである。命まで取られるわけではないが、家族や現在の地位役職や収入の事を考えると、守りに入るのであろう。

いまの憲法が改正されると、検察+警察がメディアに乗り込んできて逮捕者が出るのだろう。改憲されると、メディアだけでなく、政権に批判的な個人のSNS騒乱罪だと言われる可能性だってある。もうじきそんな世の中が見られるかもしれない。長生きはするものだ。

新しく選挙権を持った18歳と19歳の240万人の若者は、どういう社会を夢見ているのだろう。だれが夢を見させてやるのだろう。野党の諸君、がんばりたまえ。