遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

プーマとアディダスの兄弟物語


夏のウォーキングのために、まだ暑くなる前にウェアを買った。ランシャツとランパンとタイツを2セット購入。内訳は、ランシャツがナイキとプーマ。ランパンがナイキとアディダス。タイツがナイキとノーブランド。この2セットを組み合わせて、ウォーキング(ジョギング)を実践中。

それから、インナー(スポーツパンツ)とアンクルソックスは百円ショップで試しに購入したら、これが必要十分に使えるので、追加購入と合わせて3セットのコレクションを使いまわしている。600円の出費で、専用下着とソックスは当分使いまわしができそうである。

ウォーキング用の靴は、アディダスのランニングシューズを年初来ずっと使っている。

このランシャツをはじめとするウェアは、肌触りと伸縮性がよく軽快で速乾性があり実に快適である。ミズノ、アシックス、ナイキ、アディダス、プーマなどのウェアは、デザインや色などお好みで選べばほぼ間違いないと思われる。いま開催中の世界陸上でも、ほぼこれらのスポーツメーカーブランドが、使われていることからも、間違いないことが立証できよう。

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特筆すべきはプーマで、私はこのたび初めてランシャツを買ったのだが(1000円を切るアウトレットセールだったのでダメ元気分で購入)、これがスムースな表面感で、さらっとした着心地がとても快適で驚いた。
また、胸・袖・裾・背中に入ったプーマのマークやラインが、光を反射するリフレクター素材で、ナイトランに安全面で威力を発する。
もし、ウサイン・ボルトがプーマを着ていなかったら、サッカー用のウェアというイメージしかなかったので、私はプーマを買うことはなかったろうと思う。

さて、ドイツの靴職人だった兄弟から、プーマとアディダスが誕生したことはご存知であろうか。

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1920年、ドイツ、バイエルン北部の小さな町でダスラー兄弟商会という製靴工場が産声をあげる。靴職人の子供として育った兄弟は、ナチスに翻弄され、やがて袂を分かつことになる。
兄のルドルフ・ダスラーは優秀な営業マン、弟のアドルフ・ダスラーは腕のいい靴職人。兄のルドルフは持ち株を全て弟のアドルフに売却し、その資金で、新会社PUMAを設立。弟のアドルフは、自分の愛称アディと姓のダスラーを略して、ダスラー兄弟商会からadidasへと社名変更。販売部門の従業員の多くは兄ルドルフについて行き、技術者の多くは弟アドルフのもとに残ることになる。

兄のプーマと弟のアディダスは、共に今に生き残り、靴やウェアをアスリートに提供しているのである。その世界のアスリートたちのもっとも末端に属する私も、ダスラー兄弟のブランドを着用させてもらっている。

お気に入りの靴やウェアを身に着けていると、ウォーキングにとどまらずに自然発生的にジョギングを始めている、そんな今日この頃なのである。