遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

生きものの記録/黒澤明

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黒澤明作品「生きものの記録」のご紹介。
タイトルバックは、本作公開(1955年昭和30年)当時の、人通りと交通量の多い東京の街角が、高い位置のカメラで映し出される。カメラはその雑踏に面している歯科医院の空け放れた窓に近づく。その医院の歯科医が志村喬で、彼は家裁の調停委員も務めている。彼が扱ったある一家の調停案件の一部始終が、本作全編にわたってストーリー展開されている。

当時35歳の三船敏郎が、70歳の神経衰弱を病んだ老人役を務める。彼は、原水爆放射能に心底怯えていて、そんなものに命をとられるのはまっぴらだと、地下室(核シェルター)を作るのに大金を費やしたり、経営している工場をたたんで一家揃ってブラジルへ移民しようとする。「お前たちもついてこい」と言われても、「はぁ?」というのが普通の家族の反応だろう。
その三船老人を、家裁に準禁治産者に認定してもらい、相続する予定の資産を保全しようとする千秋実などの息子たち家族。

また、三船老人には、お妾さんも複数居て、その子どもたちもいる。一番若いお妾(根岸明美)には、まだ赤ちゃんの子ども(父親は三船老人)や三船老人の資産を魅力的に思っている同居する父親(上田吉二郎)までいる。とにかく、老人の財産の一部は自分のものだと主張するる身内がたくさんいる。確かに、家裁に調停してもらいたくなる困った老人なのである。調停はこう着状態に陥りそうになるが、ある事件が起きて思わぬ展開になる。

「三船老人一家の家庭内抗争の記録」といった本作品。
実際の三船敏郎は若くて溌剌とした青年なので、メイクも違和感があるし、老人の役を作り過ぎている感じがする。ただ、その他のそうそうたるキャストがごく自然に等身大の人物になりきっていて、老いも若きもそれなりに個性が際立っていて、その中に三船老人はうまく溶け込んでいる感じもした。

本作は、もっと社会派ドキュメンタリーに近いシナリオだと思っていたが、真剣に核におびえる純な老人と、金に目のくらんだ俗っぽい男女と、老人を思いやり愛するやさしい男女が織りなす人間模様をで楽しませてくれた。

「赤ひげ」や「蜘蛛巣城」と同様に、美術の村木与四郎の監修するセットが素晴らしい。製作費もかけているだろうが、このような映画セットを作れる才能に感服する。当時は映画を作るチームに、そういう才人たちが集まったのだろう。
テーマ音楽も実に印象的で、核の恐怖を表現していた。残念なことに、音楽を担当していた早坂文雄はこれが映画作品の遺作となった。彼の死を受け入れられなかった黒澤は、早坂の葬儀で慟哭したという。本編最後「終」が出てから、しばらくテーマ音楽が終わることはなかった。

映画公開前年の「第五福竜丸」のビキニでの被爆事故から発想を得た本作。広島や長崎の原爆の記憶も新しい戦後10年の本作、通底する思いは反核反戦であることには疑いがない。実のところは、病的な三船老人の抱く恐怖の部分に、共感を覚える観客は少なくなかったっだろうと想像できるのである。

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生きものの記録
監督 黒澤明
脚本 橋本忍、小國英雄、黒澤明
美術  村木与四郎
出演者
三好栄子
青山京子
根岸明美
太刀川洋一
田吉二郎
三津田健
土屋嘉男
高堂國典
公開  1955年11月22日 上映時間 113分