遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

どん底/黒澤明

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監督 黒澤明(47)
脚本 黒澤明小国英雄(53)
音楽 佐藤勝(29)
公開 1957年9月17日  上映時間 125分
キャスト
三船敏郎(37)
香川京子(26)
千秋実(40)
藤原釜足(52)
根岸明美(23)
清川虹子(45)
三井弘次(47)
田中春男(45)
三好栄子(63)
左卜全(63)
渡辺篤(59)
田吉二郎(53)
藤木悠(26)
藤田山(33)
※ノンクレジット
加藤武(28)


ゴーリキーの戯曲を映画化した黒澤明の「どん底」を初めて鑑賞。見たくて仕方のなかった作品であった。

黒澤と小国の脚本は、原作の帝政ロシア貧困層が集まる安宿から、舞台を江戸時代の今にも倒れそうに傾いたあばら家の借家に移した。
そこに暮らす社会の底辺の人たちの、人間模様を描いた作品。

映画のクランクインに先立ち、本読みなどのリハーサルは一か月以上に及んだという。

また、登場人物が着る衣装も事前に出演者に配布し、本人たちの体になじませる準備をしたという。
借家の大家などはこぎれいな衣装だが、そのほかの役者はとんでもないボロ着(衣装)で、自宅以外で着ることはできないような代物。それを各自が自分の体にフィットするように事前に馴染ませるのである。

そのような用意周到があってこそ、クランクインには、頭にはセリフが入り、衣装はしっかり体になじんでいるというわけである。

あばら家の借家には大家(鴈治郎、山田、香川)以外の登場人物たち14人が暮らしている。登場人物はほぼ全員エキセントリックで、あばら家の中にカメラがあまり動かされることなく置かれていて、役者が動いて舞台演劇のような効果を作り出す。「グランドホテル形式」だともいえる。

セリフのテンポも演劇のように小気味よい。早口すぎてよく把握できない内容のセリフが多々あるものの、もともとストーリがどうのこうのではない戯曲なので、言葉のやり取りのリズム感や登場人物の立ち居振る舞いを愉しむ。

カメラは静かに動かないが、役者たちはスクリーン上に絶妙の配置がなされていて、実に見事な画面構成になっていて、舞台芸術とそこが異なる。たとえば、人と人とが重なっていて、手前の人物に隠れそうで隠れない奥にいるの役者の目だけの演技が、きちんと観客に示されるシーンなどに感心する。現代ならフィルムカメラとビデオカメラと同期をとって作動させて、監督が撮影現場でデジタル映像でチェックできるのだが、当時は細かい演出チェックはどうしていたのかと思う。いずれにしろ、撮影現場のスタッフの職人芸も映画芸術を構成する要素なんだと、いまさらながら感服する。

当レビュー冒頭のスタッフとキャストの名前のあとに、各自の当時の年齢を付記した。根岸明美が23歳の最年少、左卜全が63歳の最年長であった。誰もがその年齢以上の経験幅を感じさせる演技でお見事である。

とりわけ、左卜全山田五十鈴が見事で、この二人の替えは利かないと感じられた。
左卜全は、一時の宿をおんぼろ借家に求め、ふらっと寄り道した巡礼途中の老人役。この老人が、哲学者あるいは救世主(あるいは教祖様)のように住人達に安らぎを与える。観客にも同じ気持ちにさせる包容力がある。ヒステリックな大家の妻役の山田五十鈴は、怖いくらいに妖艶で素晴らしい。

また、雁治郎もさすがの演技で、百戦錬磨の気持ち悪さで観客を引き付ける。

本作は、どこか前衛的で実験的な映画で、おそらく興行的にはあまり成功しなかったと思うが、その分製作費もあまりかかっていないだろうし、こういう黒澤明的世界もあるのだという問題作なのである。