遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

フルトヴェングラーのシューベルト 「ザ・グレート」

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シューベルト : 交響曲 第9番 「ザ・グレート」、 「ロザムンデ」 序曲 

アルバムの説明
本作は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、名演の誉れ高き1951年のスタジオ録音によるシューベルト交響曲第9番≪ザ・グレイト≫他を収めたアルバム。遅いテンポをとり独特な表現で歌い上げたのち、一気呵成に突き進む終楽章、素晴らしい集中力と構成力が見事な作品。


本日紹介の1枚は、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)指揮のベルリン・フィルが演奏するシューベルト交響曲9番「ザ・グレート」。

フルトヴェングラーの残した録音はモノラルにもかかわらず、いまだに名盤として21世紀に君臨している。
例えば、ベートーベンの交響曲3番「英雄」(1952)、9番「合唱」(1951)などと並びシューベルトの「ザ・グレート」は、20世紀に記録された偉大なる遺産と賞賛されていて、その後の指揮者や演奏家のお手本になっている。お手本的素材だけでなく、そこからどのように抜け出して自分の音楽を作り出すかという、超えるべき対象にもなっているようである。

小学校の教科書(おそらく国語)で、フランツ・シューベルト(1797-1928)を知った私。シューベルトの子どもの頃の苦労話や頑張り話だったような記憶があり、その後、学校の図書館にあったシューベルトの伝記を読んだ。(図書室の書架にずらっと並んでいた悲しくなるほど古ぼけた伝記で読んだのは、ほかには「ベーブ・ルース」だけだった。)そういうわけで、シューベルトに触れたのは、彼の音楽からではなく、国語の教科書や伝記によるものだった。

私は「ザ・グレート」を聴くのはこの冬が初めての経験だった。どこかベートーベン的であり、「未完成」に比べたら個性のないシンフォニーだと思いながら聞きこんでいた。そうこうしているうちに、昨日の記事で紹介した、楽譜と曲を同時に楽しめるYouTubeの動画で「ザ・グレート」を鑑賞して、カッコいいシンフォニーだと思いを翻した。

弦楽器のアンサンブルが全楽章にわたって生き生きとして見事である。また、第2楽章のオーボエの響きが、後のマーラーのシンフォニーのように独特で、個性的だと感じた。まだ20代でこの交響曲を作り、彼の死後にシューマンによって楽譜が発見された「ザ・グレート」。その名に相応しい。生前に発表されていたら、また「未完成」が完成されていたら、私の読んだ彼の伝記ももっときらびやかなものになっていたのにと残念である。

参考までにYouTubeの動画:Schubert: Great Symphony No.9