遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

バルテュス展/京都市美術館

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「夢見るテレーズ」(1938)

京都市美術館で開催中の「バルテュス展」に行ってきました。

今回日本にやってくるまで、知らない作家でした。作品も知らない。パリのポンピドー・センターに行ったことがありますが、同美術館に展示されていて出会っているはずなのですが、憶えていないのです。

NHKの日曜美術館で5月にバルテュスが紹介され(先週も再放送があった)、彼の人となりもわかったうえでの今回の展覧会での作品鑑賞でありました。ポーランドの貴族の血を引くフランス人のバルテュスは、本格的な絵画教育を受けないまま、ほぼ独学で独自の表現法を編み出したようです。初期のころは既存絵画の模写を積極的に取り入れて、修業を重ねたようです。今回はその模写した作品も数点展示されていました。

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「美しい日々」(1944-46) 下「トランプ遊びをする人々」(1966-73)


彼が独自に編み出した独特の技法と対象と表現はとてもインパクトがあり、一度作品と対面すると、記憶に止まるものだと言えます。少女たちの赤裸々な姿態は、若い男性は目のやり場に困っているようでした。きちんと鑑賞できていないでしょう。さすがに私くらい歳を重ねると図々しくなり、ふむふむとゆっくり楽しんで鑑賞できました。

バルテュスは、首尾一貫して、少女に美しさを見出し一生少女を描き続けた印象があります。それも、実際に少女と生活を共にして男女の関係になり、その少女をモデルやモチーフにして作品制作をつづけました。彼のアトリエには、少女が暮らしていました。猫もいたかもしれません。

確かに、女の子も猫もキャンバスに止まれば永遠に美しいままかもしれませんね。

モチーフは変遷しませんでしたが、表現技法は常に変化し続けていた印象があり、年を経るにつれ腕は上がり表現力は進化し続けたと思われます。彼の幸せ度の指数に比例していったのかのようです。

今日は、時々いくつかの展示室の作品前のソファに腰かけて鑑賞しましたが、作品と私の間を通り抜けていく多くの生身の女性たちも素晴らしいものでした。バルテュスの作品以上かもしれませんね。

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「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」(1960)
「地中海の猫」(1949)

バルテュスの総てが、今開催中の京都で回顧できます。会期は9月7日(日)までです。