遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

掏摸/中村文則

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掏摸(スリ)  中村 文則        (河出文庫)

読書メーターで私と相性のいい読者が読んでいたのが「掏摸(スリ)」。
著者は中村文則。知らない作家。読了後、ネット検索して著者自信を見て、かつて週刊ブックレビューに出演していた作家だと思い出す。

一度スリを地下鉄で見たことがある。25年くらい前、新大阪から梅田へ繰り出す際に、われら一行の女子が「スリ」と小さく言う。少し離れたところに、仕事中のスリを発見。片手に新聞紙を持ち、その新聞紙で視界を遮り、男性のブレザーの外ポケットからゆっくり手を抜くところだった。残念ながら空振りだったようで、何もすれていなかったが、当のポケットの持ち主の男性はまったく何も気づいていなかった。

スリに遭遇したこと、すられていることに気づいていない男性、その双方にとても驚いた。一生忘れられない。

この小説の主人公はスリ。それも一流のスリ。彼の一人称語りで物語は進行していく。その仕事ぶりが随所に書かれていて、なまめかしくてスリルがあり、読んでいるだけでドキドキする。

その一流の仕事師に、「悪」が忍び寄り、彼を利用する。その頼まれ仕事のようすが見事な筆致で描かれていて、ぐいぐい引き込まれる。反社会的な犯罪なのに、成功してくれとの思い入れで主人公の彼にのめり込んでしまう。
子どものころから彼の心象風景にいつもある、雲を突き抜けて立つ鉄塔から逃れるために、掏摸(すり)続ける主人公。

鉄塔はメタファーなのだろうが、よくは分からない。主人公はスーパーで出会った、万引き少年とその母親に自分の幼少期を見るのか、それもよくは判らない。
そして、近づいてくる「悪」は、木崎という人物で表現されていて、これはリアルではなさそうなのに、現実的でそら恐ろしい。
この暗く粘着質の世界が、普遍性を持ち人の心にさざ波を立たせる。

この作品は英訳され、ノアール小説への貢献ということで、アメリカで、David L. Goodis 賞を日本人で初めて受賞したという。


中村文則受賞歴
2002年 - 第34回新潮新人賞(「銃」)
2004年 - 第26回野間文芸新人賞(「遮光」)
2005年 - 第133回芥川龍之介賞(「土の中の子供」)
2010年 - 第4回大江健三郎賞(「掏摸<スリ>」)
2014年 - デイビッド・グーディス賞(「掏摸<スリ>」)