遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

犯罪/フェルディナント・フォン・シーラッハ

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犯罪  フェルディナント・フォン・シーラッハ  酒寄 進一 (翻訳) 東京創元社
 
【内容紹介】
弁護士の「私」が遭遇した11の異様な“犯罪”。実際に起こった事件を元に、胸を打つ悲喜劇を描いた圧巻の連作犯罪文学。数々の文学賞を獲得しベストセラーとなった傑作!


2009年本国のドイツで発刊され、たちまちベストセラーになり、わが国では2011年に発刊されたシーラッハの「犯罪」。私は今年になるまで本書のことを全く知らなかったのだが、読書メーターで出会い、ブックオフ(オンライン)にあれば買ってみようということで、うちにやって来たのである。

さほどボリュームはないもののハードカバーなので、持ち歩かないで枕元に置いて、寝る前に1編ずつ読んでいった。最初の1編の年老いた夫婦の悲劇からとても深刻で感慨深い事件の顛末を読んで、これは面白いと、じっと我慢して、毎晩1編ずつ読んでいった。

シーラッハは、ドイツの弁護士。自ら扱った裁判の背景にある事件をベースに11の短編を起こした。ここには11の犯罪が存在する。人を殺めるような凶悪なものから、博物館の彫刻を壊す程度のものまで、さまざまなケースの犯罪と被疑者の半生が淡々と記されている。ミステリー小説が11冊詰まっていると言ってもいい。長さに関係なく、1編が1冊の重さに等しい。

11の犯罪を犯した被疑者の半生や置かれた状況が悲劇的でやるせない。シーラッハの弁護士らしい感情を抑えた端正な文章で描かれなければ、この11のエピソードは違った色合いになっていたかもしれない。

遠い地のドイツの国の、犯罪経過を淡々とした文章で読んでいくと、なぜ彼らが犯罪者に墜ちて行ったのかを、比較的冷静にとらえることができる。弁護士である作者の思い入れは極力控えてあるが、本書を読む人たちの思いはほぼ同心円上に存在すると想像できる。それは、大きな犯罪に巻き込まれたことのない私ごときが、軽々に語ることはできない重いものである。

多くの国の言葉に翻訳された本書は、世界中の人たちに受け入れられたように思う。たとえば、最終編「エチオピアの男」に感動し涙する人の人種に偏りはないと思われる。

作者のフェルディナント・フォン・シーラッハは、ナチのヒトラー・ユーゲント全国指導者のバルドゥール・フォン・シーラッハを祖父に持つ。フェルディナントの半生を知る由もないが、シーラッハという名前を背負って、彼もやるせない長い険しい道を歩んできたのかもしれない。