遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

快走/岡本かの子


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今朝起きて外を見ると、あたり一面うっすらと雪景色。センター試験と雪はつきものである。
というわけで、1年ぶりにセンター試験の現代国語に挑戦してみた。

結果は100点の配点で61点。去年が60点だったので進歩なし。でも、今年の方が平均点はかなり高いと予想できるので、結果としてはほぼ撃沈。でも、1問目の評論も2問目の小説も、問題の文章はとても良いものだった。

1問目の斎藤希史の「漢文脈と近代日本」は、昨年の小林秀雄より興味深い内容で読みやすかった。それもそのはずで、作者は私より10歳若い東大教授だった。
明治以降に、いわゆる言文一致の文学が誕生するのだが、それ以前の文学は漢語の訓読みをベースとしたもので、社会を治める方策や思考などを形作る基礎的要素にも漢文の経書儒教などの素養は必須だった。そんな日本の武士社会と漢文のかかわりを、本家の中国の科挙制度などと比較した文章が問題として採用されていた。自習するほどの元気もないので、こんなテキストで社会人向け講座があれば楽しいだろうなと思わずにはいれれないような、興味ある内容だった。

2問目が、岡本かの子「快走」という短編小説。
時は昭和13年。女学校を出て実家で家事手伝いをしている道子は、裁縫の手を休めて多摩川の河原まで散歩に出かけて、幅90センチ程もある堤防の上を歩き始める。どこまでも続くような長い堤防の上を人目のないことをいいことに下駄を脱いで裸足で駆け始める。女学校時代のランニング選手時代を思い出し、家事手伝いという閉塞感から解き放され、一瞬の風になったその快感に道子は虜になる。

岡本かの子は「令女界」という女性雑誌の1938(昭和13)年12月号にこの作品を発表した。両親と兄と道子と弟の5人家族のほのぼのとした家族の肖像に涙が出そうになった、かの子自身の少女時代の家族がベースになっているのかもしれない。
かの子は年が明けた1939年の2月に急逝する。かの子の描いた家族は、やがて戦争で離散したり誰かが亡くなったりしたかもしれないのだが、かの子が亡くなったことで、昭和13年で時間は止まったままになってしまっている。道子は多摩川の堤防の上を駆け続けたままなのである。麗しい家族のままで時は止まっている、よかったよかった。